2018年5月25日金曜日

地(知)の拠点整備事業 地域志向科目『地域交流実践演習Ⅰ』5月10日

地域志向科目「地域交流実践演習Ⅰ」グループ選択③


5月10日(木)
 14:40~15:20
 ○ゲスト講師による講義テーマ「市街地活性化」
   「今治市中心市街地活性化」
   今治市役所 産業部 商工振興課 中心市街地活性化室
   市街地活性化係 主事 渡部 紘誌先生

  中心市街地は、中心商店街以外に、主に官公庁、金融機関・病院などが集積している地区である。
  中心市街地を活性化するためには、コンセプトの転換が必要である。
  ①中心商店街の転換  「モノ」消費から「コト」消費へ
  今治市の中心市街地再生基本計画
  ①~まちなか人口の回復~
  ②~まちなかのにぎわいづくり~
  ③~まちなかの価値向上~

 今治散策マップ、「ぷらっと(今治市まちなか活性化サロン)」、
 地域おこし協力隊の紹介などがあった。


 15:30~16:10
 ○ゲスト講師による講義テーマ「観光(島とサイクリング)」
   「大島の歴史文化と観光について」
    今治市村上水軍博物館 学芸員 田中謙先生
    
  大島の隣の伯方島付近の海には、ナウマン象の化石が採取された。
  大島では八幡山遺跡があったとされ、弥生時代の土器なども出土された。
  芸予諸島は、古来より海の難所とされ、平安末期から鎌倉時代にかけては沈没船が急増している。
  14・15世紀には、村上海賊の台頭と海城の築城ラッシュであった。
  村上海賊は、能島村上氏、来島村上氏、因島村上氏の三家があった。
  宣教師ロイスフロイトの「日本史」には、「日本最大の海賊が住んでおり、そこに大きな城を構え、
  この海賊は能島殿といい、強大な勢力を有していた」との記述がある。
  これらは、現在、「日本最大の海事都市今治市」につながっていることが伺える。
  村上海賊は海上のルールや秩序を守り、水先案内や海上警護を行っていた。
  豊臣秀吉による海賊禁止令などの度重なる弾圧により、村上海賊も終焉を迎えることとなった。
  村上水軍という言葉は後から出てきた言葉である。
  「村上海賊の娘」の本屋大賞により村上水軍博物館の来場者数も増加した。

16:30~17:15
グループワーク
 テーマ「市街地活性化)」
  「市街地が元気になるためのアイディア」
  「予算を抜きにして、学生の新しい考えを聞いたり、夢を語ってほしい」

 テーマ「観光(島とサイクリング)」
  「村上海賊について分かったこと、知りたいこと」
  「村上海賊の観光の活かし方」
  

17:15~17:40
グループ発表
 ○「市街地活性化」
 ・「市街地が元気になるためのアイディア」
  遊園地・動物園を作る。
 
  
 ○「観光(島とサイクリング)」
 ・「村上海賊について感じたこと。どう活かしていくか」
  スタンプラリーをして子どもたちが楽しめるようにする。
  アニメのワンピースとコラボする。
  

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