2025年5月12日月曜日

出張講義  近見小学校6年生の遠足ガイド(5月2日)

 5月2日(金)の今治市立近見小学校6年生(47名)の遠足は、今年も近見地区のまちおこしグループ「しまなみ海道周辺を守り育てる会」(村越定信会長/以下、守る会)がサポートする形で、校区内の史跡めぐりを行いました。コースは、9時過ぎに来島海峡海上交通センター(以下、来島マーチス)の視察に始まり、相の谷1号墳、大浜灯台跡地、小湊城跡・城慶寺、湊石風呂とつづいて、最後の大浜八幡神社が13時半に終了となりました。一般に遠足といえば、遠い目的地まで歩き、お弁当・お菓子を食べて遊んでから折り返すという形態をとりますが、ここ7〜8年ほど、近見小学校では上記のコースを歩きながら、ふるさとの魅力を再発見する取り組みを地域と連携しながら行っています。守る会と小学校からの依頼で、本学からは地域連携センター長の大成経凡先生がこの遠足に参加しています。

 来島マーチスと大浜灯台跡地は、それぞれ海上保安庁の職員が来島海峡の安全や灯台の歴史・役割など、海事思想の普及に関する説明を行いました。マーチス展望デッキからの眺めに、児童は喜びをかくせない様子で、校区が自然環境にめぐまれた場所にあることを再認識できたようです。相の谷1号墳では、今治市教育委員会文化振興課の職員が、同古墳の歴史的価値の説明を行いました。愛媛県最大の前方後円墳(全長約82m)が、まさか自分たちの学校のすぐそばにあるとは思わなかったようです。同古墳を見学できるようになったのも、育てる会の会員がコツコツと草刈りや雑木刈りをつづけてきたからで、今回も遠足に合わせて前日に草刈りを行ってくれました。会では、将来的にこの古墳を国指定史跡にしたいようで、そのためには未来への種まきで、地元の子供たちに価値を知っておいて欲しいという思いがあるのです。大浜灯台跡地についても、現在は不用の施設となっていて、将来的に国から用地の払い下げを受けて地域活性化の拠点にしたいと考えています。灯台はすでに撤去されてありませんが、大浜灯台が明治35(1902)年に初点灯した当時の煉瓦塀と石垣は残っています。これを残したままでの払い下げを求めているところです。


相の谷1号墳

来島マーチスの展望デッキと潮流信号

 大成先生は、小湊城跡以降のガイドを担当しました。小湊城跡は、村上海賊ゆかりの海城であることから、日本遺産にもなっています(城慶寺も来島村上氏ゆかりの寺院であることで日本遺産に認定)。小高い丘陵に登ると、とても見晴らしがよく、航路をにらむ場所に海賊たちが拠点を設けたことを児童に理解させました。この点は、同じ伊賀山丘陵にある来島マーチス・相の谷1号墳・大浜灯台跡地も同様で、来島海峡航路の重要性を考えた場合、その一帯は海上交通管制でとても大切な場所といえます。守る会と大成先生は、その一帯を将来的に今治市海事公園第1号にしたいという夢を持っているのです。


大浜灯台跡地

大浜灯台(絵葉書より)


 城慶寺でお弁当を食べた後は、海岸線の一般道を通って大浜八幡神社へしばらく歩きました。その途中に湊石風呂跡があり、場所の確認と簡単な説明を行いました。大浜八幡神社では、神社の参拝方法や拝殿に飾られた絵馬の価値などについて説明しました。何気なく見るのと、価値を知ってから見るのとでは、児童たちも得られる感動が違った様子でした。そして最後に、この日の遠足のために、調整役として動いてくれた守る会の皆様にお礼の挨拶をして終了となりました。この年齢の子供たちに、郷土の歴史を教えることは簡単ですが、興味のもたせ方がとても大事になってきます。大成先生は小学6年生の時、担任の先生が教えてくれた「近見小学校の裏山に愛媛県最大の前方後円墳がある」「今治市役所の市庁舎は、世界的な建築家・丹下健三が設計した」という言葉に心をときめかせたようです。まさか将来、相の谷1号墳の保存整備や丹下健三マンガの制作に自身が関わろうとは夢にも思わなかったとか。来年度新設の地域未来創生コースでは、近見地区のまちづくりにも関わりたいと考えております。

来島海峡を眺めながら移動

大浜八幡神社