6月5日(木曜)午後の「地域活性化論」(大成経凡先生)は、テレビCM〝は・か・た・の・し・お♪〟のサウンドでもお馴染みの伯方塩業㈱の大三島工場を視察しました。同工場は開設から今年で25周年を迎え、先月17日に開設25周年記念イベントがあったばかりです。工場見学の展示もリニューアルされ、ショップの品ぞろえも充実したものに進化しています。この日は聴講生を含め42名の学生の参加がありました(日本9・中国4・ミャンマー29)。
同社工場は、発祥の地・伯方島にもあり、そちらで全体の1割、主力となる大三島工場で9割の商品が製造されています。入場者には、その中から粗塩・焼塩など3種類のサンプルの塩がプレゼントされ、これらはメキシコの天日海塩を原料とし、瀬戸内海の海水で溶解して煎熬(せんごう)したものとなります。一方、工場裏の屋外では枝条架流下式塩田が復元されていて、こちらは100%地元の海水から採鹹(さいかん)・煎熬(せんごう)したものです。多くの観光客は屋外製塩場を見学しませんが、見学者には同塩田で製造された〝されど塩〟のサンプルがプレゼントされます。〝されど塩〟については、大三島工場だけでしか販売されておらず、これに付加価値をつけたのが、一般のスーパーでも販売されている〝されど藻塩〟となります。
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伯方塩業(株)大三島工場 |
同社は誕生してから52年を迎えようとしていますが、大成先生と同年齢になります。そんなご縁もあって、大成先生は瀬戸内海塩業史に詳しく、同社とも親交があるようです。本学オープンキャンパスに対して、同社から塩のサンプルをご提供いただいております。同社は、昭和46(1971)年に国策で廃止が決まった塩田をめぐり、消費者運動によって誕生した会社となります。その運動は愛媛県で起こり、瞬く間に全国に波及しました。当時、塩は専売制をとっていましたので、生産・流通・販売は国によって管理されていました。誰でも自由に塩を作って売ることのできる時代ではなかったのです。国の方針としては、塩田を廃止して、イオン交換膜製塩場で食塩すべてを供給する体制となるはずでした。が、消費者運動によって、特例として海外の天日海塩を輸入し、これをもとに食塩をつくることが認められたのです。その第1号が伯方塩業でした。商標の〝伯方の塩〟には、伯方島でつくられた塩という意味ではなく、「伯方島の塩田塩を残して欲しい」という願いが込められているのです。
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枝条架流下式塩田 |
そうした塩田の歴史については、6月2日の「日本を学ぶⅠ」(大成経凡先生)で学習し、この日の学外授業にのぞみました。わが国の塩専売制は平成9(1997)年に廃止されたことで、現在では塩田塩から食塩をつくって販売することは届け出制で行うことができます。伯方塩業の念願は塩田塩を残すことでしたので、創業時の思いを叶えるため、枝条架流下式塩田を平成22(2010)年に復元しました。かつて大成先生が、丸本執正社長(故人)から訊いた話では、同社が大三島工場を開設した背景には、大山祇神社を参拝する観光客をとりこむという産業観光の視点と、雇用の確保という地域振興の視点があったようです。大山祇神社がなければ、同島に工場はつくらなかっただろうとのことでした。同社の視察には、地域活性化の視点が多く含まれていて、専売制の塩に対抗して自社の塩を売るために〝は・か・た・の・し・お♪〟のサウンドは誕生したのです。わが国の製塩メーカーで、最初にテレビCMを使ったのが伯方塩業であることを、発祥の地の今治市民や愛媛県民には知っておいて欲しいですね。
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リニューアルされた館内展示 |