2025年5月7日水曜日

授業紹介 「日本を学ぶ」朝倉古墳めぐりと市民の森・フラワーパーク(4月28日)

 4月28日(月曜)の「日本を学ぶⅠ」(大成経凡)は、座学で前回授業の振り返りと今回授業の予習を行ってから、学園バスに乗って朝倉地域の古墳めぐりに出かけました。学外授業に参加した学生は40名で、国別内訳はミャンマー19・中国12・日本4・インドネシア3・スリランカ2となります。

 前回は前方後円墳の妙見山古墳を見学しました。日本独自の形態の古墳ですから、留学生の目には不思議な光景として映ったことでしょう。日本人の目にも、公園の展望所が国指定史跡の遺跡というのは、不思議な感覚を抱いたのかも知れません。ちなみに、愛媛県下最大の前方後円墳「相の谷1号墳」(全長約82m)については、来島海峡にのぞむ伊賀山丘陵、つまりは今治市近見地区にあります。妙見山古墳同様に丘陵上にあって、海を意識して造られた点に注目してもらいました。

 そして今回は、海岸から少し離れた山間部をイメージする朝倉地域へ向かいました。先般、山林火災にあった笠松山の麓に野々瀬古墳群は所在しています。保存状態の良い円墳20基ほどが現存し、そのうちの一つ「五間塚古墳」は直径15~16mあって、横穴式石室は大人が立ったままの状態で入ることができる大きさです。興味のある学生に入室を勧めたところ、半数以上が実際に中に入って、石組みの状態など、当時の土木造成技術を学ぶことができました。おそらくこの古墳については、飛鳥時代に土地の有力者の墓として造立されたもので、地元では〝王塚〟とも称されています。幕末期にここを訪ねた国学者の半井梧菴(なからいごあん)は、これらの円墳を古代人の住居と勘違いしたようで、そのくらい状態の良さは訪問者に大きな驚きを与えます。今治市民でさえもが、ここを訪ねたことのある人は少なく、もっと知って欲しい歴史遺産といえます。


五間塚古墳の外観

五間塚古墳の石室入口

五間塚古墳の内観

 同所で最大の円墳「七間塚古墳」を見学した後は、学園バスを市街の方向へ少し戻し、周越道路沿いにある円墳「樹之本古墳」の前で記念撮影を行いました。この古墳からは、明治末期に青銅鏡などが発見され、貴重な出土遺物は東京国立博物館で収蔵しています。その青銅鏡は、わが国最大の前方後円墳である「大仙古墳」(仁徳天皇陵)出土の青銅鏡に酷似するとかで、大和朝廷との結びつきを想定させます。相の谷1号墳についても、奈良市にある大王クラスの宝来山古墳の3分の1サイズで築造されていることが近年指摘され、大和朝廷と古墳時代における今治地方の結びつきを想定することができます。樹之本古墳の場所からは来島海峡大橋が遠望でき、これも海を意識した古墳なのかも知れません。

樹之本古墳前で記念撮影(ミャンマー・スリランカ)

樹之本古墳前で記念撮影(日本・中国・インドネシア)

 短大へ戻る途中、今治ICそばの「市民の森・フラワーパーク」へ立ち寄りました。同園は、市制50周年を記念して昭和46(1971)年に整備された植物園で、今の時期は〝市の花〟であるツツジがとてもきれいに咲いています。春入学の1年生のほとんどが初めての来園となり、鯉のえさやり・鯉のぼり・ロングすべり台など、花の観賞以外に楽しみを見つけて30分ほど憩いの時間を過ごしました。

 

市民の森・フラワーパーク(親水池と鯉のぼり)


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