2025年3月13日木曜日

大学公開講座 3月3日 智内威雄「左手のピアニストの芸術と福祉」

 3月3日(月曜)、左手のピアニスト・智内威雄氏を講師に招いて公開講座を開催したところ、43名(うち一般35名)の参加者がありました。ちょうど春休み期間中ではありましたが、幼児教育学科の学生2名も受講してくれました。

 智内氏が本講座で講演をするのは今回が3回目となります。氏の父は、今治市波方町出身の著名な洋画家・智内兄助氏です。威雄氏は、父が居する埼玉県蕨市の出身ですが、父の帰省に合わせ、祖母が健在だった頃は波方にも立ち寄る機会があったようです。威雄氏は、この日、司会をした地域連携センター長の大成経凡先生とは再従兄弟の続柄で、父親どうしが従兄弟となり、祖父は同一の智内鶴吉とのことです。講座の冒頭部分で、大成先生から智内家のファミリーヒストリーについて紹介がありました。父子は、今年1月にあった今治市合併20周年記念教育文化スポーツ功労賞を受賞しています(大成先生も同賞受賞)。


演奏の様子

 威雄氏は、母が学生時代に声楽の道へ進み、劇団四季の初期メンバーだったこともあり、幼い頃からピアノ漬けの生活でした。当初は〝やらされてる感〟が強かったようですが、中学・高校生の頃に、同級生たちが自らの演奏を喜んでくれたことを機に、演奏に取り組む姿勢が大きく変わっていったようです。今でも、演奏を通じて、人を喜ばせたい、支えになりたいという気持ちを強く持ち続けています。そのことが、ハンディキャップを背負った人々が左手(one hand)のピアノ演奏で活躍できる機会〝左手のピアノ国際コンクール〟の創設につながりました。今治市在住の河野信幸君も同コンクールに出場し、成長する姿を威雄氏もうれしく感じているようです。また、威雄氏は子供たちによる左手のピアノの楽曲づくりにも取り組み、この日は、実際に蕨市や氏が住む箕面市の子供たちが作曲した曲を演奏してくれました。

毎回感じることですが、左手のピアノ演奏は、両手のピアノとは違ったジャンルとして認識でき、一つの芸術として昇華されているように感じます。その左手の楽曲が誕生した背景に、第一次世界大戦で右手を負傷した演奏家たちの社会復帰がありました。威雄氏の場合は、ドイツのハノーファー音楽大学留学中に右手に局所性ジストニアを発症し、両手でピアノを弾けなくなりました。リハビリを続け、日常生活で右手を使うところまでは回復するも、ピアノ演奏家としての道は断たれたかに思えました。そこで、作曲家や声楽の道へ進もうとしたところ、指導教官から〝左手のピアノ〟の存在を教わり、これにチャレンジすることで首席で同大学を卒業したのです。


聞き入る受講者

今回の講演では、数年前に亡くなった母の看取りについての報告もありました。ガンを患いながらも、亡くなる半年ほど前に孫たちへの歌声を動画収録しました。画伯と孫たちもその収録に立ち会い、威雄氏がピアノを演奏しました。この日は、その映像が披露されましたが、智内家の美への価値観が投影されているようで、家族や他人の人生に寄り添う形について考えさせられるものがありました。今年2月に開催された第3回ウィトゲンシュタイン記念左手のピアノ国際コンクールを終えて威雄氏が残したコメント「芸術に勝ち負けをつけることの是非よりも、人には様々な目標が必要であり、そして用意されるべきである。」には、本学の教育活動においても必要とされる普遍性をもった考え方だと感銘を受けたしだいです。


講演の様子

威雄氏によると、このほど「智内兄助一般財団法人」が創設されたようで、同財団は画伯の故郷・今治市への貢献が大きな活動目的となっています。今後、父子の活動が、より多くの今治市民と触れ合う機会も増えてこようかと思います。令和8年度に本学で新設される地域未来創生コースでも父子との交流機会を持ち、学生には人間力を磨いて欲しいと願います。同コースの募集は3月23日(日曜)のオープンキャンパスから始まりますが、大成先生によると「まずは10人を目標に募集し、少数精鋭できめ細かな指導を心がけたい」とのことでした。

幼児教育学科の学生・教員と



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