今年度から、新たに地域未来創生コースが誕生しました。同コースの主要な必修科目が「地域創生探求Ⅰ」(大成経凡・小林裕一郎)で、地域課題をふまえた探究活動を通じて、個々の社会性や人間力の鍛錬を目標としています。同コースには現在4名の学生(男女2名ずつ)が所属し、最初の学外授業は今治市中心市街地を選びました。コース長の大成先生が今治市中心市街地再生の審議委員を務めていることもあり、同市が昨年度策定した〝今治市中心市街地グランドデザイン〟(まちづくり基本計画)を念頭に、学生たちはこの日、今治市役所本庁周辺を巡検しました。
| 海事モニュメントとメガバンク |
そもそも、今治市の広小路はいつできたのか? 中心市街地に集中する丹下建築のつくられた背景は? などの疑問から解説していくことになりますが、広小路は大正9(1920)年に市制施行した今治市の近代都市計画にもとづき、陸の玄関口〝国鉄今治駅〟と築港整備を進める海の玄関口〝今治港〟を結ぶ幹線道路として、大正13(1923)年から昭和6(1931)年頃にかけてつくられました。今治駅の開業が大正13年2月となりますが、その時点では予定計画の半分ほどしか広小路は開通しませんでした。これは、海岸線に平行な町割であった今治城下町を広小路が直交するためで、立ち退き問題が工事の進捗を遅らせました。当初は約18㍍の道幅で市民に大きなインパクトを与えましたが、昭和20年代の戦災復興都市計画ではその2倍となる約36㍍に拡幅され、飛行場を整備しているのかと市民が錯覚するほどだったといいます。そして、時代を先取りした広い街路がさみしいからと、篤志家によって街路樹にクスノキが植えられ、広小路は市街地のシンボルとなって現在にいたります。
| 市庁舎そばの駅前広小路 |
それが現在では、中心市街地のにぎわいが薄れる中で、広小路の有効活用策がグランドデザインの中に盛りこまれています。「広小路の中央に広場のような緑地帯を設け、市民憩いのスペースにできないか」という実証実験が今年度中に予定されています。大きく変わろうとする今後の再生計画の中で、今治市出身の世界的建築家・丹下健三氏(1913~2005)が設計にかかわった今治市庁舎・公会堂(ともに1958年竣工)などの丹下建築群のもつ意味は大きくなっています。いずれも昭和30年代以降に竣工した鉄筋コンクリート造の建物ですが、老朽化しているから取り壊すのではなく、それらを有効活用することをビジョンとして示しています。〝世界の丹下〟の建築がこれほど集中する街は、世界中探しても今治市だけなのです。学生たちは、現地現場を巡検する中で、変わろうとする中心市街地の未来像に思いを馳せました。
次回の学外授業では、「はーばりー周辺」や「今治駅界隈」を巡検予定です。
| 丹下建築をバックに撮影 |












