2025年10月9日木曜日

多文化共生をテーマにしたインタビュー(9月26日、9月30日)

9月26日(金曜)夕方、今治西高校2年生の男子生徒4名が、本学めいたんホール(食堂)で留学生にインタビューをしました。彼らは、同校の地域探究の授業ZESTでグローカル講座を履修している生徒たちで、そのアドバイザーを本学の大成経凡先生が担当しています。彼らの研究テーマは「多文化共生でより良い今治にしよう」というもので、プレゼン資料の情報収集で本学を訪ねてきました。


ちょうどその日は平日ということもあり、訪問時間の16時45分頃は、留学生たちがアルバイトに出発する時間でした。それでも、ミャンマー8名・ネパール4名がめいたんホールに集い、「どうして日本へやってきたのか」「将来は日本で暮らしたいか」「今治での生活に満足しているか」など、生徒たちの質問に1時間ほど快く答えてくれました。国ごとに分かれてインタビューしたことで、その特性や共通点が浮かび上がってきたことでしょう。


高校生のインタビュー(ネパール人留学生)

最初は緊張していた生徒たちも、しだいに打ち解けていったようで、お互いがフレンドリーに会話のキャッチボールを楽しむ姿が印象的でした。多文化共生はあまり難しく考えず、まずは交流することが大切で、そこからお互いをリスペクトする感情が浮かび上がってくるのでしょう。

高校生のインタビュー(ミャンマー人留学生)


9月30日(火曜)午後には、大正大学地域創生学部3回生の高梨雄さんが、今治市の多文化共生の取り組みをフィールドワークする中で、留学生の多い本学を訪ねてきました。この週から本学は後期授業がスタートしましたが、科目等履修の制度で日本語の授業を履修するフィリピン人のジョンさんにインタビューをしました。ジョンさんは、日本語能力の向上を目指し、N3取得に向けて以前から本学の授業を受講されています。今後、今治市に外国人労働者が増える中で、その家族の日本語能力向上に向けて、公的機関や本学が果たす役割も大きいように感じました。


大学生のインタビュー(フィリピン人聴講生)


2025年10月8日水曜日

岡村島の秋祭りに参加(9月27日)

 9月27日(土曜)、今治市関前地域の岡村島・姫子島神社で開催された秋祭りに、本学の学生10名が参加しました(男子は担ぎ手、女子は撮影部隊)。少子高齢化の進展で、これは岡村島だけに限ったことではありませんが、市内には氏神様の神輿渡御(みこしとぎょ)の困難な地区を多く見かけるようになりました。若者がいなくなり、担ぎ手そのものが不足する事態に陥っているのです。昨年、本学介護福祉コースの非常勤講師・島崎義弘先生のお誘いで、その神輿渡御のお手伝いを本学学生と吹揚神社神輿会「今壱会」とが岡村島で行いました。岡村島は島崎先生の故郷でもあり、先生は現在、関前地区の社会福祉協議会にご勤務されています。


お神輿運行


神輿の担ぎ手を経験して分かることは、担がれた神様を氏子である地区住民がどのようにお迎えしているのかということです。高齢者が多いこともあって、神輿の到着を、福の神の到来のように心待ちにしているのです。このため、担ぎ手に感謝の気持ちを込めて、御旅所では飲食のお接待があり、休憩時間に住民との会話を楽しんだりすることもできます。御旅所の数は全部で10箇所くらいあったでしょうか。昼食が必要ないほど、少し進めば御旅所に到着し、お腹を満たすことができます。蒲鉾・ゆで卵・果物・お菓子・ビール・清涼飲料など、食べきれないほどのおもてなしに心も満たされました。


御旅所でくつろぐ学生たち

岡村港とは山をはさんで反対側の白潟港まで神輿は渡御しました。対岸は、広島県呉市の御手洗港や大長港となります。関前地域は県境に位置し、とびしま海道を経由して本州ともつながっています。学生たちは、地域ボランティアに励みながら、小旅行の気分も味わうことができました。さらに、島はじまって依頼の快挙として、本学女子学生らによる女性神輿の運行もあり、貴重な経験をさせていただきました。ある女子学生は、獅子舞の太鼓をたたかせていただきました。早朝7:20に今治港を出港し、同港へ帰港したのは18:33。終わってみれば、あっという間の一日でした。来年も参加したいと思います。


岡村島白潟港(背後は大崎下島)


2025年10月7日火曜日

北郷中学校のふるさと学習で講演(9月25日)

 9月25日(木曜)午後、本学ライフデザイン学科の大成経凡先生を講師に招いた「ふるさと学習」の講演会が、今治市立北郷中学校の体育館で開催されました。対象となるのは1学年94名で、同校卒業生(1989年卒)の大成先生からは波止浜塩田や実業家・八木亀三郎などの校区の歴史地理や偉人についての紹介がありました。クイズを織り交ぜながら説明したことで、60分近くの講話もあっという間に終了し、生徒たちは楽しみながら〝ふるさとの魅力〟について学ぶことができたようです(講話の後、休憩をはさんで質問タイム)。波止浜や波方の地名が塩田開発に関係していることや、JR波止浜駅のホームが曲がっていることなど、ふだんの生活で当たり前と思っていることの中に、実は大切な歴史が潜んでいることを知ってもらえたようです。クイズは8問出題しましたが、全問正解者はおらず、7問正解者の中からジャンケンでチャンピオンを決め、同校卒業生の洋画家・智内兄助画伯の直筆サインをプレゼントさせていただきました。



 10月22日(水曜)午前中にも、生徒たちはこの日学んだことを参考にしながら、校区内の史跡や名所を自転車で巡る予定です。その際、チェックポイントの一つ・波止浜龍神社で大成先生が現地ガイドを生徒全員(グループごと)に行うようで、これは今治市の「ふるさとキャリア教育」の一環としても注目される取り組みといえます。この年代で身近な地域に関心を持つことが、将来的にふるさとの人財育成や定住促進につながることを願っています。




今治市SDGsまちづくりプロジェクト始動(9月21日)

 9月21日(日曜)午前中、今治市みなと交流センター「はーばりー」で、今治市SDGsまちづくりプロジェクトの第1回講座が開催されました。本プロジェクトは、今治市で暮らす高校生が、「将来も住み続けたい今治市」の姿を自らの 視点で描き提案する取り組みです。自身の人生をイメージしながら、企業・自治体・まちづくりに 関わる人々との対話を通して、今治の未来に必要な制度・施設・働き方・暮らし方を一緒に考え、最終的に 「未来の今治への提案」としてまとめます。当日は、今治工業高校、今治東中等教育学校、FC今治高校里山校の3校から、生徒10名の参加がありました。


会場の様子

 講座は1月24日まで5回実施され(10/19、11/8、11/16、12/14)、最終回で生徒たちがイオンモール今治新都市(予定)で練り上げたプランを公開発表するというもので、これはというものは今治市の今後の施策にも反映されるとのことです。本プロジェクトの監修者の一人・愛媛大学の小林修先生からは、講座の端々で型にはまらない奇抜なアイデアへの期待が生徒たちに投げかけられていました。

この日、プロジェクトを主催する今治市からは、今治市の抱える課題と持続可能な地域を目指す取り組みについて発表があり、事業受託者の日本旅行からはSDGsの基礎知識についてのアドバイスがありました。本学の大成経凡先生も監修者の一人として登壇し、今治市の歴史や産業に影響を与えた風土の話、今治市の魅力のとらえ方など、グローカルな視点(グローバル✕ローカル)での講話を1時間余りさせていただきました。例えば、今治地域の造船業や海運業の身近なルーツに〝塩田〟があり、村上海賊とは直結しない点を強調していました。時間が足りず、伝統工芸の菊間瓦や桜井漆器については紹介できませんでしたが、グローカルな視点からアイデアを導き出す手法を少し感じ取ってもらえたなら幸いです。


大成先生の講義

近年、愛媛県内の高校では地域探究の取り組みが盛んに行われていますが、本学教員も出張講義などを通じてそのお手伝いをさせていただきたいと考えております。早速、同席した今治工業高校の先生から、同校造船機械科の生徒を対象にした「船学(ふねがく)」で大成先生に出張講義の相談がありました。各種テーマにご対応いたしますので、本学入試課へお気軽にご相談ください。




2025年10月6日月曜日

越智郡上島町をフィールドワーク(9月20日)

 9月20日(土曜)午後、連携協定のパートナーである智内兄助一般財団法人のメンバーとともに、越智郡上島町をフィールドワークしました。本学からは来年度新設の地域未来創生コースを担当する大成経凡先生が同行し、岩城島の「岩城郷土館」「岩城八幡神社」と佐島の古民家ゲストハウス「汐見の家」を視察しました。アクセスは、しまなみ海道を経由して因島で降り、同島の長崎港から生名島の立石港へ上陸。あとは、ゆめしま海道でつながった上島町の島々を車で移動というものでした。上島町は広島県との県境にあって、今治市と隣接しながらも遠くに感じます。弓削島には愛媛県立弓削高校もあって、大成先生自身もいつか同校の地域探究の授業にかかわりたいそうです。

 岩城郷土館は〝旧島本陣三浦邸〟とも称され、町指定文化財にもなっている歴史的建造物です。棟札によると、幕末の慶応元(1865)年9月落成のようで、当時岩城島の豪商であった三浦家(東三原屋)の屋敷内にありました。本陣の意味は、貴人の宿泊するところで、戦場にたとえるならば大将が陣取る場所をいいます。藩政時代、岩城島は生名島とともに松山藩領に属し、船で参勤交代を行う際は自領の最北端に位置しました。参勤交代や領内巡視で藩主の立ち寄る機会があったようで、その場合に備えて藩は岩城島に「御茶屋」という藩主の休息・宿泊する施設を設けていました。本陣については、他の大名や幕府役人が立ち寄る際に使用するのが通例ですが、実際にこの三浦邸の本陣がどのように使われたのかは分かっていません。幕末動乱期につくられたということは、やはり幕府役人や戦時への備えのように感じます。松山藩は、航路沿いでは津和地島・三津浜・興居島にも御茶屋を設けていましたが、本陣があったのは岩城島だけでした(興居島は18世紀後半に廃止)。今治藩は、弓削島に御茶屋を設けていました。


岩城八幡神社からの眺め

 現在、岩城郷土館は島本陣の設えを学ぶことができる貴重な海事遺産といってもいいでしょう。昭和57(1982)年4月に岩城村の郷土資料館となる前は、建物が老朽化して存続が危ぶまれていたとか。三浦家が村へ寄贈することで、朽ちた部分を修復して今日にいたっております。大成先生は22年ぶりの訪問になったようですが、前回の印象は、建物の設えよりも、ここを歌人の若山牧水や吉井勇が訪ねたエピソードに重きが置かれていたように感じたそうです。それが今回は、建物の設えや使用されている建材などに心が躍りました。それもそのはず、近年、中庭・坪庭の手入れを行う住民有志が現れ、インバウンド向けに羽織を用意するなど、滞留時間が長くなる工夫が見られたのです。庭がよみがえると屋敷は本来の輝きを取り戻し、癒される空間へと変わります。今回は、再生に尽力する「三浦邸ふれんず」代表の山本こころさんから、手作りおはぎのもてなしを客間(藩主の部屋)で受け、同館の魅力を再発見しました。


旧島本陣で心温まるおもてなし

旧島本陣の客間(藩主の間)

手入れが行き届いた中庭


以下は町に対するアドバイスとなりますが、もう少し、建物の設えに重きをおいたパンフレットを作成すべきだと感じました。どこにも建物の竣工年が記されていません。また、「御茶屋」と「本陣」の違いを理解し、比較対象となる類似の施設を把握する必要性があります。三浦家は、岩城村で天保10(1839)年に没落した庄屋・白石家に代わって同12年から庄屋となった豪商で、近くの岩城八幡神社の寄進石造物を見ると、刻まれた銘からもそのことがうかがえます。この白石家没落の理由が判然とせず、大成先生は同島の塩田開発にからみ、投資に見合う成果が得られず、経営不振に陥った可能性を想定しているようです。この三浦家は、金融・廻船・塩田経営で財をなしたようですが、廻船の活動については石見国外之浦(現、島根県浜田市)・清水家の「諸国御客船帳」に享和3(1803)年6月から天保5(1834)年5月まで8回の寄港を確認でき、縞木綿や食塩を積み荷として廻漕していたようです。藩の御茶屋が設けられ、港湾整備が進むにしたがって、町場の機能も備えて問屋が立ち並びます。岩城島は藩政時代から1島1村の行政区でしたが、綿花栽培と塩田経営、海を生業とする出稼ぎなどで賑わったようで、その富の集積を旧島本陣や神社の寄進石造物などからうかがい知ることができます。もっと他にも連関させて見るべきポイントがありますが、その課題は地域未来創生コースの活動にとっておきたいと思います。

 その日の夜は、佐島の「汐見の家」で食材を持ち寄り、食卓にはイギス豆腐や鯛のお刺身、アコウ(キジハタ)の煮つけなどが並びました。智内画伯も懐かしい海の幸に大喜びでした。そうして、オーナー・管理人ら島民との親睦を図りましたが、土地の地域課題と真摯に向き合い、楽しみながら暮らしている姿が印象的でした。同所は宿泊もできますので、いつか学生たちを引率して訪ねたいと思います。


ゲストハウス「汐見の家」


「汐見の家」の団らん



2025年10月3日金曜日

智内兄助一般財団法人と連携協定締結(9月19日)

9月19日(金)午後、本学本館大会議室において、本学と智内兄助一般財団法人との間で「教育・人材育成の推進及び地域活性化」を目的とした連携協定の締結式が行われました。同財団理事長の智内兄助氏(以下、智内画伯)といえば、パリの個展を中心に国内外で活躍する世界的な洋画家です。ヨーロッパ屈指の美術コレクター・ロスチャイルド家の蒐集作品にも智内作品が加わり、近年は日本の花鳥風月を画題とする作品が多く、ツルやクジャクの絵に新境地を感じるところです。現在は自宅近くの埼玉県蕨市にアトリエを構え、絵画活動に励まれております(画廊「ギャルリーためなが」とアーティスト契約)。

少し智内画伯の略歴を紹介しますと、ご出身は今治市波方町波方で、1948(昭和23)年のお生まれ。市内の波方小・北郷中学・今治西高校をご卒業し、東京芸術大学大学院を修了されています。今治西高校では、郷土の美術界を牽引していた美術教師・高階重紀氏との出会いがあり、氏が顧問を務める美術部で才能が磨かれました。1980年代初めから、和紙にアクリル絵画という独特な描法で、日本画と洋画の境界を越えた革新的な絵画表現を創り上げました。今治市民の間では、〝童女を描く、暗くて怖いイメージの画風〟が今でも強く印象に残っているようですが、その童女は愛娘の久美子さんを描いており、久美子さんの成長とともに優しい絵に変化していったように思います。

1987年には第30回安井賞展で人気投票による特別賞、1991年には第33回安井賞展で佳作賞を受賞するなど、業界における地位を高めていきます。この安井賞は、新人洋画家の登竜門とされ、画壇の芥川賞とも称されています。智内画伯の人気に火が付いたのが、1992年3月から毎日新聞朝刊に連載された宮尾登美子の小説「蔵」の挿絵画を手がけるようになってからです。この小説は翌年4月まで連載がつづく長編小説となりましたが、画伯にとっては1年ほどかけて実力を世に示す発表の場にもなったようです。1999年には、しまなみ海道開通を記念し、今治市主催の記念イベントの一つとして「ちないきょうすけが智内兄助になるまで」展が今治国際ホテルで開催されました。成長した姿を故郷の人々に知ってもらう好機となり、その後も県内では久万美術館や県美術館で特別展を開催し、坊っちゃん劇場のミュージカル「鶴姫伝説」「誓いのコイン」「新鶴姫伝説」のポスター原画を描くなど、故郷への地域振興にもひと役買ってきました。

今年で喜寿を迎えた智内画伯ですが、精力的にパリの個展に向けた作品づくりに励む一方、蕨市の文化活動を通じた地域振興にも尽力し、今後の活動を視野に昨年財団を設立。今年5月には今治市との間でも文化・芸術の振興や地域活性化などを目的に連携協定が結ばれています。同財団の連携協定締結は本学が2番目ということになり、幼児教育学科や新コース「地域未来創生」との連携が想定され、海岸漂着の流木などを使って三輪車を子どもたちと一緒に作ってみたいという抱負も語られていました。智内画伯は、中学・高校の同級生で世界的ジャズトランぺッターの近藤等則氏(故人)とのコラボで、絵本『ぼくがうまれた音』(福音館書店、2007)の中で、文を近藤氏・絵を画伯が手がけたこともあります。今回の帰郷は、翌日に河野美術館で開展をひかえた「第77回市展」に合わせたものでしたが、展示作品の中で、障がいをもった子どもたちが描く作品を高く評価されていました。

さて、締結の調停式に本学からは泉学長、井上幼児教育学科長、幼児教育学科教員、地域連携センター職員が出席し、智内兄助財団からは理事長の智内画伯とご長女で理事の智内久美子氏が出席されました。この日は欠席となりましたが、ご長男で理事の〝左手のピアニスト〟として活躍する智内威雄氏については、すでに本学の公開講座に3回ご登壇されています。調印式終了後は、本学めいたんプロモーションクルーの学生がパーソナリティを務めるFMラヂオバリバリの番組「めいたんへ行こう!」の収録があり、絵を描くのが大好きな森美友さん(幼児教育学科2年生)が画伯にインタビューをしました。また、森さんがデザインした「めいたん学生祭2025」のチラシについても講評をいただき、とてもいい想い出となったようです。インタビューの模様は5分番組ではおさまりきらないため、改めてアーカイブの30分作品に収録してYouTube動画で配信するなどしたいと思います。そこには、画伯の青春時代の想い出や故郷への熱い想いが込められ、その人柄を知るうえで貴重な肉声に触れることができます。ちなみ、同席した幼児教育学科の吉井ゆだね先生は、「蔵」の挿絵画時代から家族で智内画伯のファンだそうです。それまで購読していた某地方紙を辞めて、1年ほどは毎日新聞を購読していたというエピソードをカミングアウトしてくれました。何度も何度も智内作品を模写したようで、「当時モデルであった久美子さんを一番模写したのは私です!」とのことでした。

今後は、本学の授業や課外活動の中で、智内画伯や智内威雄氏との交流機会が増えてこようかと思います。学生の成長につながる仕掛けや地域貢献につながる活動を展開して参りたいと思います。


署名の様子

泉学長と智内画伯(右)

智内画伯から講評を受ける森さん

会話が弾む吉井先生


2025年9月30日火曜日

はだか麦同好会活動状況報告

私たち「はだか麦同好会」では、はだか麦を若い世代に継承するための活動をしています。

これまで「はだか麦おにぎり」、「みそ汁」、「カップケーキ」の普及に取り組んできました。


今回は、白米ではなく「はだか麦100%のぽん菓子づくり」に挑戦しましたので、その実施状況について報告します。


みなさん、お米を原料としたぽん菓子を知っていますか? どこかで「ドン」とか「ボン」という音を耳にすると、どこか懐かしさを感じる人もいると思います。


実施日 2025.8.28 本学の演習室・実習室


はだか麦100%の「ぽん菓子」を市販の家庭用ぽん菓子機器(釜)を使ってつくりました。

下の写真のとおり、はだか麦450g(3合)を釜に入れ、釜を熱し気圧を上げて行きます。

12から13分後、気圧を一気に下げると、ポンという爆発音とともに「ぽん菓子」ができあがりました。

できた「ぽん菓子」に味を付け(調理)しました。


味の素材として、ホワイトチョコ、ココア、きな粉、練乳、レモンを使いました。

味付けの手順は下の写真のとおりです。なかなか思うような仕上がりにはならなかったので、学内の教員にも調理のコツを教えてもらいながら進めました。


2でできた試作品を本学の教職員17人に評価をしていただきました。


◎・〇・△・×の4段階評価で、結果は下のグラフのとおりでした。

厳しい評価や感想をたくさんいただきました。


・ホワイトチョコ:固まっても手に付くのが嫌、塩のアクセントよい、味は良いが見栄えは☓ 、ホワイトチョコと言われると違う気がするがパリパリ感はいい、 硬い


・ココア:苦い、もっと甘みのある方がよい、硬いがココア味はしっかりしている、一工夫必要、 サクサク感が欲しい、焦げている感じ、ビター感あり美味しい


・きな粉:きな粉の付きにむらがある、きな粉味がもう少し強い方がよい、はだか麦にあう、香ばしくてよい、きな粉の味があまりしない、ぽん菓子のパフ感が無い


・練乳:焦げた部分がキャラメル風味、歯にひっつく、ねっちり感、練乳の味はしない、飽きのこない優しい味


・レモン:酸味はあるがレモン感は無い、ふわっと感あるいはカリッと感があると良いと思う、意外性ナンバーワン、レモンの酸味が良い、カリッと感があると良いと思う


・水あめ:シンプルな味 固まっても手に付くのは嫌 出来立ては美味しかったがすぐ湿気で歯にひっつく、よくわからない、特徴無し、歯に付き食べにくい、これなら素の方がよい


・素のぽん菓子:膨らみが足りない、硬さにムラがある、硬いあっさりした感じ、個人的に無味が好き、素朴な味プチプチ感もよかったがサクサクさせてほしい



今後の取り組みについて


・素のぽん菓子の改良

 膨らみが足りなかったり、焦げ付いたり、硬かったり「均一な素のぽん菓子」づくりを完成させたいです。釜に入れるはだか麦の量、釜の温度、圧力、加熱時間など工夫する必要性を感じました。


・対象者に提供できる試作品の完成

 教職員の評価や感想を基に試作品の改良を目指します。アイスクリームやヨーグルトなどとはだか麦の相性を調査してみたいと思います。


・イベント会場での試作品の提供

 FC今治高校文化祭や越智今治農業まつりなどのイベント会場において、はだか麦を使った料理の提供を計画中です。


はだか麦の摂取を勧める主な理由は以下のとおりです。


①愛媛県ははだか麦の産地で、38年間日本一の生産高です。また、品質の高いはだか麦が収穫されています。


②はだか麦の活用法や栄養価値について知らない人が多く、多くの方にはだか麦の良さを知って欲しいです。若い世代の人たちにも継承したいと思います。


③はだか麦には水溶性の食物繊維β―グルカンやビタミン、ミネラルが多く含まれ、私たちの健康維持や生活習慣病の予防に役立ちます。

次回は、はだか麦とアイスクリーム(ヨーグルト)のコラボを・・・






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