2026年2月14日土曜日

岩松の町並保存地区を視察(2月1日)

 2月1日(日曜)に宇和島市津島町で開催された「第35回しらうお&産業祭り」((市・実行委員会主催))は、シロウオ漁体験&グルメ以外にも見所は十分ありました。メイン会場の河川敷土手沿いでは、改修工事を終えたばかりの「小西本家離れ・蔵」が一般公開されていました。これらはワールド・モニュメント財団、フリーマン財団の支援により修復されたようです。この岩松地区には古い町並みが残されていて、令和5(2023)年12月に国の重要伝統的建造物群保存地区(以下、重伝建地区)に選定されています。愛媛県内には他にも内子町と西予市宇和町に同様の重伝建地区があって、町並みの景観を保持しながら地域観光に寄与しています。令和7年度版『伝統的建造物群保存地区 歴史の町並』によると、全国に129地区の重伝建地区があり、これを有する自治体は106市町村とのことです。そもそもこのように集落や町並みを保存する制度が創設されたのが昭和50(1975)年以降のことで、今年度で半世紀を迎えたことになります。

本学の大成経凡先生が愛媛県の近代化遺産調査事業の調査員をしていた平成13・14(2001・02)年度当時は、まだ宇和町卯之町の町並みも選定されていませんでした。調査の方針としては、1件でも多く近代につくられた希少な建造物を探しだし、地域活性化につなげようというものでした。その後も愛媛県教育委員会では近代和風建築調査(平成16・17年度)や2度目の近代化遺産調査(平成23・24年度)を実施し、岩松の町並みの魅力はブラッシュアップされていったように感じます。大成先生は、2度目の近代化遺産調査にもかかわり、平成30〜令和2年度は今治市波止浜地区の旧八木亀三郎家住宅(八木商店本店資料館/登録有形文化財)の整備にもかかわって、近代建造物の見る目を鍛えていきました。

岩松の町並み
古い町並みといっても、東映太秦映画村のような江戸時代の建造物ばかりでなく、明治・大正・昭和初期の近代化の中で誕生した建築が多く含まれます。平成8(1996)年度の国登録有形文化財制度の発足後は、築50年が経過した建造物も文化財の対象となり、昭和戦後につくられた広島平和記念館のような建物が国指定重要文化財となる時代が到来しました。高度経済成長以降、スクラップ&ビルドの価値観で、それ以前に繁栄した集落・町並みが急速に失われ、これに警鐘を鳴らすべく導入されたのが重伝建の制度のように思います。県内では内子町八日市護国地区が〝木蝋と白壁の商家町〟として昭和57(1982)年4月に選定され、開明学校・末光家住宅などがある西予市卯之町地区は平成21(2009)年12月の選定となります。

宇和島市教育委員会作成の観光パンフによると、「岩松の町並みは南予地方のリアス海岸にそそぐ岩松川河口域に位置し、農村から周囲の集落の物資集散地への変容とともに町並みが形成され、江戸後期から近代にかけて、小西家などの豪商を中心として製蝋業や新田・塩田開発、酒造業などを基軸に発展した町」とのことです。現在は、岩松川右岸の宇和島市役所津島支所前の国道56号がメインルートになっているため、その対岸の町並みを経由しなくとも宇和島市と愛南町とをアクセスできます。今回のイベントは、そういう意味では、メイン会場に駆けつけた観客を町並みへ呼び込むチャンスでした。地元住民の目には、見慣れた、価値を見いだせない時代遅れの地区に映るかも知れませんが、希少な建物が点在し、町並みとして見応えが十分備わっているのです。その起爆剤として今後期待されるのが「小西本家離れ・蔵」で、町並みのシンボルともいえる威容が感じとれました。

小西本家離れ・蔵
パンフにもあるように、この町の繁栄には小西家が絶えず登場し、町の繁栄を牽引するような存在であったことがうかがえます。小西家がストーリー性の一翼を担っているのです。本家以外にも東小西家・浜小西家・小西医院などの分家があって、例えば東小西家の小西萬太郎(明治14年生まれ)は、小説家・演出家の獅子文六(1893〜1969)が太平洋戦争末期の昭和19(1944)年に妻の郷里・岩松に疎開した際、これを支援した分家当主で知られます。文六は昭和22(1947)年まで約3年間を岩松で過ごし、その体験をもとに創作したのが小説『てんやわんわ』です。大正5(1916)年当時の地方紙による愛媛県資産家の上位資産額の記事において、岩松村の小西本家・小西荘三郎(慶応元年生まれ)は9番目の70万円、東小西家の小西萬四郎は50万円で登場します。当時の1万円は、現在価値で約1億円ともいわれます。

そのことは、明治後期から大正期に整備されたとされる木造二階建ての〝小西本家離れのつくり〟にも表れていて、設えと建材から施主の気品に満ちたセンスを感じさせます。川を見下ろす窓には色ガラスを用い、トイレの磁器タイルにもこだわりが感じられ、ハイカラな近代の趣を感じることができました。また、長押(なげし)や板廊下に使われた柾目の栂(ツガ)、付書院の玉杢(たまもく)の欅(ケヤキ)などは、大正期に竣工した波止浜の旧八木亀三郎家住宅に通じるものを感じました。大正7(1918)年の愛媛県貴族院多額納税者議員互選名簿において、前年納税額1位の亀三郎に対して小西荘三郎は3位・小西萬四郎は8位で、互選において亀三郎は荘三郎へ、荘三郎・萬四郎は亀三郎に投票しています。岩松の実業家・小西荘三郎を訪ねた政財界の要人に対し、きっとこの離れは接待館や迎賓館としての役割を果たしたのでしょう。

小西本家離れの色ガラス

蔵については、川港の舟運を物語る産業遺産といえます。今回は、蔵が地元小学校の絵画の展示会場にもなっていて岩松川に生息するカニたちが紹介されていました。岩松川はオオウナギ(県天然記念物)や二ホンウナギの生息地でも知られますが、夏場はアカテガニ・ベンケイガニなどのカニ類が山と川とを往来し、まちの至るところで目にすることができます。シロウオだけでなく、岩松川が育む豊かな自然を展示から学ぶことができました。そしてその場には、宇和島東高校津島分校の生徒がいて、自分たちが制作にかかわった町並みガイドの小冊子「今、守りたい 残したい 岩松Notes」(100部限定)を来場者に手渡していました。大成先生のように離れ・蔵に興味のある人とは会話をし、自分たちが地域探究で学んだ知識を披露していました。同校に通う生徒は必ずしも宇和島市出身者とは限らず、たまたま会話した生徒は西予市出身で下宿住まいとのことでした。出身地とは違うまちに住みながら、その地域を大切に思い、まちづくり活動に励む姿に感心しました。その2年生男子については、統合が進む県立高校にあって津島分校最後の学年の生徒となります。


小西本家蔵でガイドする津島分校生

本学の地域未来創生コースが目指すものは、今治市の地域活性化を素材としつつも、その経験が地域を変えても実践に生かせるノウハウを学生たちには身につけさせたいと思います。そして時には今治市の外に出て、先進地視察を行いながら、多様なケースについて意識をめぐらせたいと思います。今治市内の町並保存に関しては、漆器で栄えた桜井地区に注目し、旧小谷屋漆器店(松木家)の店舗棟の再生に、地元の高校と連携して取り組みたいと考えております(所有者と協議中)。岩松地区の町並み保存につきましては、今後も注視しながら整備の進捗を追跡調査して参りたいと思います。






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