2026年10月6日火曜日

長井健司さんの命日に墓参(9月27日)

 本学では、昨年12月の「地域交流演習」と今年7月の「日本を学ぶⅠ」の授業に、ゲスト講師で小川典子さん(今治市在住)をお迎えしました。典子さんにご登壇いただいたのは、両科目の履修生にミャンマー人が多かったことに関係します。典子さんの兄は、2007年にミャンマーであった軍事政権に対する反政府デモを取材中に銃弾にたおれた映像ジャーナリスト・長井健司さんです(当時50歳)。今治市出身のジャーナリストが、死をもってミャンマーの惨状を世界に訴えたことは、あれから19年の歳月がたった今でも記憶にとどめている方も多いと思います。しかし授業をやってみて分かったことは、長井さんのことを知るミャンマー人留学生は一人もおらず、初めてその事実を知って驚きに満ちた表情を見せたことが強く印象に残っています。


 典子さんとの2度の交流機会をへて、今年はようやく健司さんの命日にあたる9月27日(日曜)に留学生3名が墓参を果たすことがかないました。墓所は今治市最大の霊園・大谷墓地(山方町)の一角にあり、祖父の長井兼太郎翁が大島石中興の祖と呼ばれるだけあって、大島石の立派な墓所でした。取材用カメラをかたどったモニュメントもあり、そこに刻まれた文字【敬愛する長井さんへ 「誰も行かなければ、誰かが行かなくてはならない…」あなたのその熱い思いには、報道に携わる者としての強い使命感と責任が込められていました。そして、徹底した現場主義に基づく取材は、世の中に多くの真実を伝え、時に多くの命を救ったのです。あなたは真のジャーナリストでした。私たちは必ずやあなたの遺志を継ぎ、真実の報道に努めたいと思います。それがどんなに険しく困難であっても。どうか安らかにお眠り下さい、また会う日まで。 APF通信社一同】がとても印象に残りました。



 19年という歳月はとても長いように感じられますが、現地を訪ねると報道陣(テレビ局3社・新聞社2社・研究者1名)が多く詰めかけていました。早速、当日・翌日には、学生が典子さんと一緒に手を合わせる姿が報道されました。3名を代表して男子学生が、「長井さんのお陰で、母国のことが広く世界に知れ渡ったことに感謝している」とコメントしました。

 今後、本学のミャンマー人留学生の多くは、進学や就職で日本での生活を続けていくことになりますが、両国の平和の架け橋となれるような人財に育ってくれることを願っております。




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