2023年8月7日月曜日

【授業紹介】日本を学ぶⅠ 伯方塩業の大三島工場を視察(7月31日)

 前期最後の授業は、大三島へ学外授業に出かけました。同じ今治市内にありながら、バスで通える最も遠い距離にあたり、伯方塩業(株)大三島工場は本学からバスで片道45分の距離です。その往復90分の移動距離も、車窓から眺める景色は学びの素材であるのです。

 以前から同工場へは授業参観で行きたかったのですが、食品メーカーだけにコロナ禍は工場見学が中止となっておりました。地元今治市出身であっても、同工場を見学するのが初めての学生もいて、CMでお馴染みの〝伯方の塩〟がつくられる工程を見て感動していました(工場内撮影禁止)。何より、大量の塩が砂山のように堆積した光景が、とても新鮮に感じられたようです。

 工場見学は無料で、入場者には同社主力商品の試供品3種類がプレゼントされます。その分、伯方の塩をまぶしたソフトクリームや伯方の塩を使ったお菓子や食塩そのものを買い求める学生たちがいて、オープンファクトリーに対するお礼の対価にもなっていたように思います。新商品の食塩に注目する学生もいて、個々で知的刺激が得られたようなら幸いです。

工場内のショップ
伯方の塩ソフト
伯方の塩ソフトに塩をふりかける!

 多くの観光客は、工場内を見てアイスクリームとお土産を買ったら次の目的地へ向かいますが、屋外にも見学を許された製塩場があるのです。それは「枝条架流下式塩田」と呼ばれ、専売制のもとで昭和46(1971)年まで運用された塩田となります。竹の枝を組み合わせたこの設備は、人力に頼らずに〝塩分濃度を高める〟ための立体濃縮装置です。この出現によって、重労働とされた入浜式塩田が瀬戸内海から姿を消しました。しかし、その枝条架流下式塩田も、現在主流のイオン交換膜製塩場の出現によって廃止となり、製塩の技術革新が国策によって一気に進みました。こうして、我が国から塩田は消えていったのです。イオン交換膜製塩は工業塩向きの製造方法といえ、当時の世界でそれを食用塩とする国は存在しませんでした。

屋外の製塩設備を見学

 そうした中で、〝塩田の塩を食塩に!〟という消費者運動が愛媛県で起こり、その動きは全国に広がって政府も方針を一部改めます。塩田の復活は認めないが、海外の天日結晶塩(原塩)を食用目的で輸入することは認め、その許可第1号を取得したのが伯方塩業会社でした。そして、昭和48(1973)年からメキシコまたはオーストラリアの天日結晶塩を輸入し、これを瀬戸内海の海水(専売制下では井戸水が建前)で洗浄して蒸発窯で沸騰させ、商品としているのです。当時は、その方法でしか塩田塩を入手する方法がありませんでした。販売ルートも独自で開拓しなくてはならず、そこで日本の塩メーカーで初めてテレビCMを採用したのも伯方塩業でした。

 伯方塩業にとって、枝条架流下式塩田の復活は、ずっと抱き続けた悲願でありました。平成9(1997)年に塩の専売制はなくなり、現在は届出制で塩田を利用した塩づくりが可能な時代となりました。こうして平成22(2010)年にこの塩田は再現され、ここで作られた塩は〝されど塩〟という商品として販売されています。ちなみに、この塩田を見学した人には、〝されど塩〟のサンプルがいただけ、職員から塩田の構造についても説明がなされます。「たかが塩、されど塩」でありますが、瀬戸内海においては奥の深いストーリーが秘められていて、本学の食にかかわる調理ビジネスコースや食物栄養コースの学生には関心を持って欲しいと願います。


枝条架流下式塩田と学生


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