2026年7月15日水曜日

授業紹介「日本を学ぶⅠ」ミャンマー・日本の交流の架け橋①(7月8日)

 7月8日(水)午後、「日本を学ぶⅠ」(大成経凡先生)はゲスト講師2組をお招きし、太平洋戦争史や反政府デモを題材にしながら、ミャンマーと日本の交流の架け橋について考えることにしました。本科目の履修生は46名中38名がミャンマー人ということで、日本(今治)とミャンマー双方にとっての身近な話題を取りあげることとしました。当日は43名の学生が出席し、国別内訳は日本人5名・ミャンマー人38名でした。また、この日の授業の様子を記録するため、来年度から地域未来創生コースの映像授業の非常勤講師を務める映画監督・小田大河さんも同席しました。

 1組目の講師は、今治市関前地区の元地域おこし協力隊・今里拓哉さんです。今里さんは今治市へ移住する前は兵庫県に住み、ミャンマーと関わりのある仕事をし、定期的に同国を訪ねています。今回はその話ではなく、今里さんの祖父・今里淑郎さん(1922~2018)についてでした。淑郎さんは太平洋戦争末期に通信兵としてビルマ戦線を転戦し、多くの戦友の死を目の当たりにしています(ミャンマーの旧国名がビルマ)。1945年2月のメイクティラの会戦では、同じ部隊の兵士約400名が亡くなる中、祖父は奇跡的に助かった2名のうちの一人で、一時捕虜となるも翌年7月に日本へ帰還を果たすことができました。

今里さんの授業風景

 ミャンマー人留学生は、太平洋戦争史(1941年12月~)を母国の学校で学んでいます。最初は英国の植民地であったが、日本軍の力を借りて英国軍を1942年7月に駆逐したことを知っていました。そして、一時的に1943年8月に独立を果たすも、その政府は日本軍の傀儡(かいらい)政権に過ぎず、再びアウンサン将軍らが連合軍と共闘して1945年5月に日本軍を駆逐し、改めて英国から1948年1月に独立を果たします。同席した日本人学生たちは、誰もそうした歴史を知りませんでした。ですから、アウンサン将軍(1915~1947)が〝ビルか建国の父〟であることも知らなければ、その長女でノーベル平和賞を1991年に受賞したアウンサンスーチー女史のことも知りませんでした。


慰霊碑の説明


 一方、淑郎さんは、戦後しばらくたって戦友の死を悼み、1978年2月にメイクティラに慰霊碑を建立しています。また、1999年2月にはヤンゴン日本人墓地で、日英の戦没兵士の慰霊祭を英国人らとともに執り行うなどしました。そういう思いが、2006年にはミャンマー上座僧の資格取得にもつながりました。今回、今里さんをゲストに招いたのは、その慰霊碑が風水害で損壊したことから、新たな慰霊碑を今年2月に建立することとなり、孫としてその記念式典に参加した経験談を話して欲しかったからです。これに先立ち、1月には本学ミャンマー人留学生2名と今里さんのお子様らが交流し、ミャンマー文化の事前学習をしています。式典には、お子様とその友達も同行し、現地の寺院で異文化交流の催しも開かれました。その動画と写真を披露下さいましたが、それを懐かしく感じたのが、ミャンマー留学生の表情が和らいでいくのを感じました。


小田さんのインタビュー

 両国にとって、戦争史を触れようとしない選択肢もありますが、取りあげる事例によっては交流の架け橋につながっていく可能性を感じることができたように思います。



このページの先頭へ戻る