地域志向科目「地域交流実践演習Ⅰ」グループ選択③
5月10日(木)
14:40~15:20
○ゲスト講師による講義テーマ「市街地活性化」
「今治市中心市街地活性化」
今治市役所 産業部 商工振興課 中心市街地活性化室
市街地活性化係 主事 渡部 紘誌先生
中心市街地は、中心商店街以外に、主に官公庁、金融機関・病院などが集積している地区である。
中心市街地を活性化するためには、コンセプトの転換が必要である。
①中心商店街の転換 「モノ」消費から「コト」消費へ
今治市の中心市街地再生基本計画
①~まちなか人口の回復~
②~まちなかのにぎわいづくり~
③~まちなかの価値向上~
今治散策マップ、「ぷらっと(今治市まちなか活性化サロン)」、
地域おこし協力隊の紹介などがあった。
15:30~16:10
○ゲスト講師による講義テーマ「観光(島とサイクリング)」
「大島の歴史文化と観光について」
今治市村上水軍博物館 学芸員 田中謙先生
大島の隣の伯方島付近の海には、ナウマン象の化石が採取された。
大島では八幡山遺跡があったとされ、弥生時代の土器なども出土された。
芸予諸島は、古来より海の難所とされ、平安末期から鎌倉時代にかけては沈没船が急増している。
14・15世紀には、村上海賊の台頭と海城の築城ラッシュであった。
村上海賊は、能島村上氏、来島村上氏、因島村上氏の三家があった。
宣教師ロイスフロイトの「日本史」には、「日本最大の海賊が住んでおり、そこに大きな城を構え、
この海賊は能島殿といい、強大な勢力を有していた」との記述がある。
これらは、現在、「日本最大の海事都市今治市」につながっていることが伺える。
村上海賊は海上のルールや秩序を守り、水先案内や海上警護を行っていた。
豊臣秀吉による海賊禁止令などの度重なる弾圧により、村上海賊も終焉を迎えることとなった。
村上水軍という言葉は後から出てきた言葉である。
「村上海賊の娘」の本屋大賞により村上水軍博物館の来場者数も増加した。
16:30~17:15
グループワーク
テーマ「市街地活性化)」
「市街地が元気になるためのアイディア」
「予算を抜きにして、学生の新しい考えを聞いたり、夢を語ってほしい」
テーマ「観光(島とサイクリング)」
「村上海賊について分かったこと、知りたいこと」
「村上海賊の観光の活かし方」
17:15~17:40
グループ発表
○「市街地活性化」
・「市街地が元気になるためのアイディア」
遊園地・動物園を作る。
○「観光(島とサイクリング)」
・「村上海賊について感じたこと。どう活かしていくか」
スタンプラリーをして子どもたちが楽しめるようにする。
アニメのワンピースとコラボする。