2024年7月5日金曜日

授業紹介 日本を学ぶⅠ 伯方塩業㈱大三島工場へゆく(6/28)

6月28日(金曜)の「日本を学ぶⅠ」(大成経凡先生)の学外授業は、短大から学園バスに乗って45分かけて今治市大三島町台(うてな)の伯方塩業㈱大三島工場を訪ねました。参加したのは31名の学生で、国別の内訳は日本人3名・中国人8名・ネパール人11名・ミャンマー人4名・ベトナム人4名・スリランカ人1名でした。


到着したのは閉館時間まで45分というタイミングでした。幸い、前回の授業でわが国の塩の歴史や伯方塩業の食塩の製造工程を説明していましたので、見学時間は短くても大丈夫でした。最初の工程では、メキシコから貨物船で運ばれてきた天日結晶塩を溶解槽に入れ、不純物をとります。この際、瀬戸内海の海水できれいにします。天日結晶塩のサンプルを見ることで、学生たちは伯方の塩の製造法を理解できたようです。特に、3名の日本人は調理ビジネスコースを履修しているため、基本の調味料となる塩の歴史や製造法を理解することはとても重要に感じたようです。大相撲の懸賞幕も展示されていて、伯方塩業が取り組みに対して懸賞金を出していることや清め塩を協賛していることも知ることができました。館内には、伯方の塩を使った商品も販売されていて、それを買い求める学生や、伯方の塩ソフトに舌鼓を打つ学生もいました。


 屋外の枝条架流下式塩田も見学することができました。梅雨時期ということもあってか、塩分濃度に配慮して稼働はしていませんでした。原理の説明をして、ここで集合写真を撮りました。この流下式塩田で製造される食塩は瀬戸内海の海水がもととなり、にがり成分やミネラルが多く含まれます。電気分解の原理のイオン交換膜法でできる食塩とは大きく味や成分が異なってきます。伯方塩業では〝されど塩〟という商品名で売り出しています。同社は今から約50年前に誕生した塩のメーカーですが、〝伯方島の(流下式)塩田を残して欲しい〟という消費者運動から誕生した会社なのです(だから〝伯方の塩〟)。明治38(1905)年に誕生した塩専売制度の国策のもと、昭和46(1971)年以降、わが国から塩田が消えた時期がありました。平成9(1997)年にこの制度は緩和され、塩づくりの規制緩和が進みました。この流下式塩田を復元したのは平成22(2010)年のことですが、同社の創業の理念が込められており、学生たちには是非とも訪ねて欲しい場所でした。


伯方塩業(株)大三島工場の流下式塩田


蒸発釜の廃管を使って「は・か・た・の・し・お♪」


 工場見学の後は短大まで帰るだけでしたが、ちょうど、同じ島内の上浦町井口地区で世界的なガラス工芸作家・鳥毛清喜先生(83歳)が「ガラスの家」を完成させたというので、寄り道することにしました。鳥毛先生は2022年に大三島へIターンし、インドネシアのバリ島との2拠点生活で創作活動を行っております。実績を一つ紹介しますと、ガラス工芸品の国際大会「フラジールアート・コンペティション」で日本人初のグランプリを受賞しています。「ガラスの家」のそばは、古民家を改装してアトリエ・ギャラリーにもなっていて、学生たちの突然の訪問を歓迎して下さいました。鳥毛先生はとても謙虚でフレンドリーで、短い滞在時間でしたが、私たちは気分が和みました。記念撮影にも応じて下さり、「機会があれば、ガラスづくりの体験にも来て下さい」とのお言葉までいただきました。後期の授業でぜひ検討してみたいと思います。本当にありがとうございました。なお、「ガラスの家」は夜のライトアップがオススメですので、興味を持たれた方は夜にご鑑賞ください。大三島の地域活性化に生かそうと、鳥毛氏が島民の力を借りてつくったアート作品でもあります。大三島をアートで盛り上げる機運となれば幸いです。


鳥毛先生のアートギャラリーを鑑賞

「ガラスの家」で鳥毛先生(左端)と交流


鳥毛先生の作品「アウトロー」


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