11月16日(土)、本学幼児教育学科長(副学長)の井上浩二先生を講師とする大学公開講座が開催され、「ことわざ・笑い・柳田?」という演題のもと15名の受講者がありました(一般9・学生2・教職員4)。演題の3つの用語がどう結びつくのか興味をそそられる中、まずはたくさんある諺(ことわざ)の中から20の事例を挙げ、受講者とともにその意味や使う場面を考えました。
「情けは人の為ならず」は、他人への親切はその人のためになるだけではなく、やがてはよい報いとなって自分に戻ってくるという意味です。決して、相手を甘やかすことはその人のためにならないという意味ではありません。
「出る杭は打たれる」は、才能や手腕が秀でて差し出たことをすると、ときに周りから憎まれたり、非難されたりするという意味です。すでにこの諺は江戸時代前期にあったようですが、今日では〝出過ぎた杭は打たれない〟という言葉も見られます。
「蒔かぬ種は生えぬ」は、準備や努力を何もせずに結果は得られないという意味で、「夕焼けに鎌を研げ」は、夕焼けの翌日は晴天の可能性が高いため、鎌を研いで農作業の準備をしておくよう戒めた意味となります。共に、農耕が盛んだった江戸時代の民衆の生活に基づいた知恵で、今日では種を蒔くこともなければ、鎌を研ぐこともありません。
といった具合に、和やかに事例の紹介がされました。受講者の多くが年輩者ということもあり、意味の問いかけに対してすぐ回答し、さらに類似の諺を挙げるなど、諺が生活の中に溶け込んできた昭和人の知恵を感じることができました。さらに、諺の種類分けと教育的役割について考えさせることで、そのことが柳田國男(やなぎたくにお)へとつながっていくのです。柳田(1875~1962)は、説話集『遠野物語』の作者で有名ですが、〝日本民俗学の創始者〟ともされます。彼によれば、学校教育がなかった明治以前の日本の民衆は、諺を活用することで、道徳観や教養を培ってきたというのです。諺を種類分けすると、批判・攻撃・自己防衛、天気・自然、経験・教訓といったものがあり、ユーモアな笑いを誘うものもあります。その笑いにも、楽しい笑いもあれば、冷笑・嘲笑といった攻撃的武器としての笑いもあり、笑いと諺の併用を江戸時代の民衆は行っていたようです。
井上先生自身も、過去に小中学校の教育現場の経験が長く、その笑いがもたらす教育的効果を学級経営の中で実践してきたそうです。本学でも、授業や校務の中で笑いをとろうとする場面をよく見かけますが、そういう意味があったことを改めて認識したしだいです。教育的効果のある諺として、「目糞鼻糞(めくそはなくそ)笑う」と「這(は)っても黒豆」を事例に挙げました。前者は〝自分の欠点には気がつかないで、他人のことをあざ笑うこと〟で、後者は〝何を言っても自らの過ちを認めないような強情な人〟を意味します。一見、相手の言動を責めるようで、諺を言い放った当人もそうならないよう戒めとして理解し、そこに笑いが介在することで教育的効果が生まれます。諺を民衆が理解することで高い教育水準が生まれ、ひいては明治維新成功にも結びついたと柳田は考えたようです。
最後に、井上先生がゲストでお招きした鳥生小学校事務員の大川裕大氏が、ご自身のコラム「一笑懸命」『愛媛の教育』228(愛媛県教育研究協議会、2024.9)を読み上げました。もともと大川氏の夢は、お笑い芸人になってM-1グランプリで優勝することでした。それが今は、学校事務職の立場からJ(事務)-1グランプリ優勝を目指しています。教員・児童を縁の下の力持ちとして支え、笑顔を絶やさず日々の勤務に励んでいるとのことでした。改めて、笑いの大切さを感じるとともに、それを先人たちも諺を介して教育に生かしていたことを知るいい機会となりました。
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