2024年11月15日金曜日

国際観光ビジネスコース 広島・原爆ドーム研修に行きました(1年生春入学、秋入学ネパール)

11月9日(土)に春入学の1年生(日本、中国、ミャンマー、ネパール)、10日(日)に今年秋入学のネパール人留学生が広島研修に行きました。

原爆ドームや平和記念公園、原爆資料館のほか、広島城まで行った人もいて、広島の観光や歴史、平和について学びました。



特に海外からの留学生はほとんどが広島に来るのは初めてで戦争の悲惨さや平和について知ることができました。また、10月に入学したばかりの秋入学のネパール人学生はしまなみ海道を渡って本州に行くのも初めての経験となり、バスからの海の景色にも感動していました。






2024年11月14日木曜日

授業紹介 日本を学ぶⅡ  今治城跡を散策(11月8日)

 11月8日(金)の「日本を学ぶⅡ」(大成経凡先生)は、40名の履修生とともに「今治城跡」(県史跡)を散策しました。40名のうち日本人は1名しかおらず、留学生の構成はネパール人18名・ミャンマー人15名・中国人5名・ベトナム人1名というものでした。前回の授業で〝現存12天守〟について学び、近世城郭への関心を高めたうえでの現地視察となりました。

 系統立てた歴史解説が難しいことから、1867年に撮影した今治城最古の古写真をもとに、現地を散策しました。再建した隅櫓(すみやぐら)は鉄筋コンクリート造でできていて、鉄御門(くろがねごもん)は木造建築となります。五層の天守については、もともと建っていたかどうかは研究者で意見が分かれています。大成先生は〝建っていなかった〟説をとられているようです。そのため、現在の天守は模擬天守(6階建て)として昭和55(1980)年に鉄筋コンクリート造で建てられました。


山里櫓を下りた場所

 鉄御門をくぐるにあたって、城内へ攻め入る敵に集中攻撃を与える構造であることを解説。敵に脅威を与える大きな石〝勘兵衛石〟(かんべえいし)がそこにあって、大抵の近世城郭にはこうした石が大手門の石垣の中に見られることを伝えました。勘兵衛は、今治城を築城する際の普請奉行・渡辺勘兵衛の名前に由来します。また、今治城石垣の石材も話題にとりあげ、本来なら築城には不向きな石灰岩が多く用いられていて、これは石不足に悩んだことを物語っているようです。


鉄御門で勘兵石を解説


 つづいて、藤堂高虎像の前で記念撮影しました。今治城は、〝築城の名手〟とされた高虎が関ヶ原の戦い(1600年)後に築城に取り組み、1608年頃には完成したとされます。徳川家康の意向を汲んで、豊臣大名や西国大名の監視で築いた城ともいわれ、その後の徳川系の城のプロトタイプとして位置づけられています。しかし、高虎は今治城が完成するや、幕府の指示で伊賀・伊勢(現、三重県)へと国替えとなりました。今治城そのものに長く在城した大名は久松松平家で、初代藩主の松平定房は徳川家康の甥でありました。今治城は同家との関係が長いにもかかわらず、市民意識や観光客の意識の中では、今治城といえば〝高虎の城〟なのです。

藤堂高虎像前にて


 山里櫓をくぐって内堀のそばに下りると、そこにはチヌ(クロダイ)が悠々と泳いでいました。お堀は海水であり、海が近いことを理解し、脆弱(ぜいじゃく)な地盤を克服するため、高石垣の裾部分に〝犬走り〟と称されるスペースがあることを解説しました。できるだけ、やさしい日本語を使って説明しましたが、お城を鑑賞する際のイロハを学生たちは理解できたでしょうか。「ちゃんと聴けよ~。試験に出題するぞ~!」という大成先生の声が城内に何度も響き渡りました。最後は、バスの車窓から内堀を1周して、今治城跡の景観を楽しみました。


車窓から今治城跡を鑑賞




2024年11月13日水曜日

市川團十郎今治城歌舞伎公演へゆく(11月7日・8日)

 日本旅行松山支店様からのお誘いで、11月7日・8日に今治城跡で開催された「市川團十郎今治城歌舞伎」公演の鑑賞に参りました。本公演は今治市合併20周年記念イベントや観光庁の「特別体験の提供等によるインバウンド消費の拡大・質向上推進事業 」の構成事業として開催されました。7日は30人(ネパール20・中国5・インドネシア1・ネパール3)、8日は29人(ミャンマー22・中国2・ネパール2・ベトナム1・スリランカ1)が参加し、引率の大成経凡先生をのぞく全員が留学生でした。


公演会場の様子

 公演に先立ち、今治市教育委員会・今治市観光課様のご配慮で留学生全員が今治城天守の最上階から夜景を鑑賞させていただきました。参加した留学生の多くが登頂は初めてで、夜景鑑賞にいたっては全員が初めての経験でした。7日は来島海峡大橋がライトアップし、両日ともに夕陽がとても幻想的で、急に冷え込んだ寒気の影響があったのかも知れません。ライトアップされた天守や石垣も見応えがあり、築城の名手・藤堂高虎が築いた城郭の魅力を味わうこともできました。公演そのものは撮影NGでしたので、それ以外の添付画像で当日の雰囲気を感じ取っていただけると幸いです。



今治城天守最上階にて

公演時間は18:30から20:00までで、この日のために鉄骨を組んで特設の舞台が設けられました。観客席は各回1,000席あったようで、私たちは舞台に近いS席(12,000円)に座ることができ、とてもラッキーでした。7日は花道のそばということで、市川團十郎・新之助父子の舞踊を間近で堪能することができました(13代目團十郎は、10年前にも今治市大三島の大山祇神社で野外公演を行っている)。8日は花道とは反対方向の席でしたが、舞台床をたたく拍子木の音がよく響きわたりました。強い風と低温に悩まされましたが、参加した留学生・教員の全員が〝世界無形文化遺産〟の歌舞伎を生で鑑賞するのが初めてで、熱気に包まれた会場で日本の伝統芸能の素晴らしさを知ることができました。


俳優陣の舞踊もさることながら、背後に陣取る長唄の演奏家たちも、引き立て役として重要な役割を果たしていると感じたしだいです。三味線・太鼓・笛の和楽器は、留学生たちにとっては〝日本の伝統の音色〟に聞こえたはずです。最初の演目は、牛若丸(源義経)と武蔵坊弁慶の京都五条橋での出会いを題材とする「五条橋」で、大谷廣松が牛若丸を、市川右團次が弁慶を演じました。両者の太刀振る舞いがとても見事でした。休憩を挟んで最後の演目は、市川團十郎父子が演じた「連獅子」(れんじし)で、親獅子が子獅子を谷底に落として鍛え、両者が牡丹に戯れながら紅・白の長い毛を豪快壮烈に打ち振る演技に観客は魅了されました。

千秋楽の本学参加者(ミャンマー人留学生多数)

8代目・新之助君は小学6年生で、舞台挨拶ではとても愛らしさを感じましたが、いざ衣装を身にまとい舞踊を始めると、たのもしく感じたしだいです。「連獅子」は、本当の父子が演じるとあって、芸の修行の厳しさと情愛が重なって観客の心に響いたことでしょう。初日の観客は地元の今治市民が多かったように感じました。千秋楽は着物の方を多く見かけ、拍手や歓声のタイミングから玄人ファンが多いように感じました。市川團十郎家の屋号である〝成田屋!〟の掛け声も聞き取ることができました。一度鑑賞しただけで、すっかり魅せられてファンになる、歌舞伎公演だったように思います。


留学生たちをインバウンドととらえた場合、こうしたクールジャパンの機会に触れることはとても大切で、日本を好きになってもらう近道なのかも知れません。本学は、日本人よりも留学生が多く在籍していますが(日本78・留学生130)、日本文化や今治の地域文化を彼ら彼女らに伝える中で、多文化共生社会の実現に努めて参りたいと思います。今年秋に入学したばかりのミャンマー人・ネパール人・中国人には、入国早々に一流の歌舞伎に触れ、貴重な経験を積むことができました。改めまして、日本旅行様に感謝申し上げます。


初日の本学参加者(ネパール人留学生多数)



2024年11月12日火曜日

授業紹介 地域交流演習  森のともだち農園へゆく(11月7日)

 11月7日(木)の「地域交流演習」(大成経凡先生)は、A班40名(ネパール18・ミャンマー12・日本5・ベトナム3・中国2)の学生を引率して、今治市玉川町龍岡地区にある「森のともだち農園」のキャンプ場へ参りました。前期授業「地域活性化論」の最後に、同園でブルーベリー狩りをした際、あまりの酷暑に耐えかねていたところ、園主の森譲寛氏がレンタルスペースのキャンプ場で涼むよう勧めてくれました。その時、学生の一部がそばの川で泳ぐなど、居心地の良さを感じましたので、グリーンツーリズムの授業に採用することに決めました。紅葉に期待しましたが、まだ少し早かったようで、それでもピザ窯で焚き火をする学生もいて、秋の深まりを感じました。



 その週末には同所で婚活イベントが予定されるなど、グループが自然の中の体験を通じて親睦を深めるには最適の場所といえます。今治市でグリーンツーリズムといえば、従前はしまなみ海道の島しょ部が注目されがちでしたが、今治市は海あり島あり山あり…と多様な風土に恵まれています。同所は玉川ダムよりも上流地域にありながら、国道317号沿いにあって、松山市街からも今治市街からもアクセスしやすい地の利があります。そばを流れる川も小さく目が行き届くことで、家族連れキャンプで人気のスポットとなっています。自然に触れ合うと、人はふだんとは違う表情を見せることもあり、互いをより深く知るのに役立ちます。

ピザの生地づくり

ピザ窯で焚き火なう

 今回はBBQとピザ窯の体験をさせていただくことになりました。あらかじめ学生には一人1,500円の参加費がいることを伝えていました。大成先生が心配したのは、参加費を惜しんでドタキャンが出ないかということ。出た場合、先生は自腹を覚悟していたようで、いざ当日を迎えた際、6名が欠席と判明(事前の連絡なし)。しかし、本授業を履修できなかった2024秋入学のミャンマー人たち10名がキャンセル待ちを期待して駆けつけたことで先生は安堵しました。これによって、やや多めに買い込んだ肉(鶏・豚・牛)はすべて学生の胃袋の中に消えました(むしろ足りなかったくらい)。BBQのコンロは2つありましたが、ネパール人とミャンマー人がすぐに占拠(笑)。多勢に無勢で、日本人はピザの生地づくりに回り、残された中国・ベトナム人は途方に暮れるという光景が展開し、まさにカオスの状態。ネパール人は宗教の関係で牛肉・豚肉は食べませんので、鶏肉を楽しんでもらいました。コンロが空くと、日本人・中国人・ベトナム人がコミュニティを形成してBBQを楽しんでいました。

ネパールチーム



ミャンマーチーム

日本&中国&ベトナムチーム


 11月21日の本授業は、ネパール人だけのB班31名(2024秋入学)が同所を訪問予定です。鶏肉をたくさん買い込んで、今治の山のグリーンツーリズムを楽しみつつ、仲間との親睦を深め、日本の生活様式に少しずつ馴染んでもらいたいと思います。


2024年11月11日月曜日

授業紹介  地域交流演習  小島砲台をフィールドワーク(10月24日、31日)

10月24日(木)と10月31日(木)の「地域交流演習」(大成経凡先生)は、履修生を2つのグループ(A・B)に分けて、来島海峡に浮かぶ小さな島「小島」(おしま)へ学外授業に参りました。24日のB班は今年秋入学のネパール人31名(ほか2名の教員・通訳)、31日のA班は今年春入学のネパール人18名とミャンマー・中国・日本・ベトナムの混成からなる45名(ほか2名の教員・通訳)の編成となりました。B班については、履修生以外の秋入学のミャンマー人も加わり、大所帯となりました。

チャーター船の船内(A班)


〝海を見たい、船に乗りたい〟という秋入学の留学生の希望を叶えるため、少し無理をした感があります。幸いにも、波止浜港からの渡船は貸切りとし、他の客に気兼ねすることなく片道10分の船旅を学生たちは満喫している様子でした。渡船からは波止浜湾の造船所群を沖から観察することができ、本航路は産業観光の要素も備えています。すでに㈱しまなみの遊覧船が、来島海峡の急流や橋の景観と併せ、この産業観光を推しのスポットに挙げているところです。

小島へ向かうB班のチャーター船(奥が小島)


 本授業では、すっかり秋の鉄板コースになりつつある小島のフィールドワーク。周囲約3㎞、頂上の標高100mの島内には、明治30年代に対日露戦争に備えて陸軍が築いた要塞(ようさい)の遺跡が残されています(砲台跡・発電所跡・弾薬庫跡・観測所跡・探照灯台跡・雁木など)。これを、戦争遺跡という負の歴史でとらえるのではなく、明治期の建築技術の学習や要塞廃止後に公園として整備した地域活性化(観光)の観点からとらえる必要があります。留学生が多いことで、時代背景や軍事思想の詳細をガイドできない大成先生はもどかしかったようですが、小島が今治市にとって貴重な観光資源であることを認識できたなら、渡船をチャーターした甲斐もあったことでしょう。

波止浜湾(A班)

 現在の島民は10名ほどのようで、島内の耕作地は放棄されて〝荒れ放題〟となっています。そこへ島外から渡来したイノシシが繁殖し、遊歩道は歩行しづらいほどに土砂が散乱・堆積する有様です。遊歩道沿いに植えられたツバキの根がむき出しになるほど、環境の悪化はここ数年深刻です。しまなみ海道開通後に脚光を浴び、〝海上の城・ラピュタ〟と称されるなど、保存整備も行き届いて海道有数の推しのスポットと自負していたのですが…。一方、ほぼ同時期に芸予要塞として築造された大久野島(広島県竹原市)は、SNSが普及する中で〝毒ガスの島〟から〝ウサギの島〟へ変貌を遂げ、すっかりインバウンドで賑わう観光の島となりました。

中部堡塁(A班)


 参加した学生全員が小島は初上陸とあって、〝イノシシの島〟への変貌に驚くことはありませんでした。不思議な場所を訪ね、頂上からの眺めが抜群に良かったと感じたはずです。頂上の観測所跡は敵艦の位置を捕捉するだけあって、360度パノラマの眺望が来頂者を喜ばせます。下草が刈られていれば、寝そべるなどして、さらにリラックスできたことでしょう。島滞在時間は1時間半しかなく、頂上で10分楽しんだ後は、来た道を急いで下りました。渡船が到着するまでの間、学生たちは桟橋から来島海峡第3大橋を眺め、撮影に興じていました。大成先生曰く、令和8年度入試から採用される新コース「地域未来創生コース」(準備中)では、小島の魅力と課題を徹底的に検証するとのことです。



頂上でくつろぐ留学生(A班)

頂上の観測所跡(A班)


発電所跡(B班のネパール人留学生)


2024年11月6日水曜日

めいたん学生祭2024を終えて

10月26日(土曜)10:00~16:00、めいたん学生祭2024が開催されました。早朝に雨が降っていて客足が心配されましたが、開始の頃には雨も上がり、約1,000名の来場者を迎えて無事に終えることができました。本学の学生祭の特長は、学生が全員参加して、準備から後片付けまで何かしらの役割を担っていることです。現在210名の学生が在籍し、それぞれが各学科・コースの模擬店やイベント会場にスタンバイし、学生祭を盛り上げようという熱意が感じられました。

昨年の反省点を生かし、模擬店の食材が尽きないよう工夫が見られました。333教室では、中国・ミャンマー・スリランカ・ネパールのブースが設けられ、民族衣装を身にまとった留学生たちがお菓子やお茶を接待しながら自国の文化を紹介していました。昨年よりも留学生の数が増えたことで、同教室はとても活気があったように思います。留学生どうしの交流もみられ、親交を深めることができたようです。同窓会のくすのき会も、バザーや占いコーナーなどを催し、陰ながら支えてくださいました。自衛隊や一般マルシェの方々も、出展・出店を賜り、本当にありがとうございました。


ミャンマーのブース(333教室)

国際観光ビジネスコースの模擬店

調理ビジネスコースの模擬店

入試広報委員会では、例年とは違う形で学生祭オープンキャンパス(OC)を実施しました。その名も〝めいたんウルトラクイズ〟。本学にちなんだ出題を〇✕クイズで実施し、勝ち抜いた方が早押しクイズの決勝戦へ進み、豪華景品をゲットするというものです。一般の方々にも参加をうながし、決勝戦は5席をご用意し、高校生3席・一般2席で競ってもらうことにしました。決勝戦は、本学の大成経凡先生から今治市ご当地検定〝いまばり博士〟にちなんだ出題がありました。例えば〇✕クイズの一例。本学の留学生で、一番多い国はネパールである(正解は〇)。決勝クイズの一例。日本食研のオリジナルキャラクターの牛の名前は?(正解はバンコ)。決勝戦は骨のある問題が多く、5席の方が答えられない場合は、フロアの一般の方に回答をうながし、正解すれば〝みやざきタオル協賛のタオルマフラー〟をプレゼントしました。途中、南海放送ラジオのキャピー宇都宮さんが生中継に入り、会場は大いに盛り上がりました。今回の反響を受けて、来年3月23日開催のOCでも、秘かに〝めいたんウルトラクイズ〟実施できないものか画策中です。


キャンパスツアー(介護福祉コース模擬店)


めいたんウルトラクイズ

学生祭のトリは、大講義室に全学生と一般来場者が集まっての〝ビンゴゲーム〟です。こちらも豪華景品(3万円金券)をお目当てに、場内には歓声とため息がこだましました。秋入学の留学生も雰囲気にとけ込んで楽しんでいました。ふだんとは違う学生たちの表情が見てとれて、教職員もリラックスした様子でした。この経験を糧に、学生・教職員一つになって「めいたん」のアイデンティティーを高めていきましょう。


ビンゴ大会(大講義室)


2024年11月5日火曜日

大学公開講座 「南海トラフ地震臨時情報について」(10月30日)

10月30日(水)午後、今治市防災危機管理課の玉井栄次参事補をお招きし、公開講座「南海トラフ地震 臨時情報について-臨時情報の発表と備え-」を開催しましたところ、一般市民11名を含む51名の参加がありました。介護福祉コース1・2年生と幼児教育学科1年生は授業の一環で受講し、災害時に介護福祉士・保育士等に求められる心得を学ぶことができたように思います。

公開講座の様子

 例年、玉井氏からはタイムリーなテーマでご講演いただく中、今回はこの夏話題となった〝南海トラフ地震臨時情報〟についての解説がありました。多くの国民がその発表に戸惑い、お盆時期の南海トラフ地域への旅行をキャンセルするなど、混乱を招きました。発表された注意喚起は、平時に比べて巨大地震の可能性が少し高まったとするもので、すぐに巨大地震が起きるというものではありません。いつ起きてもいいように、災害の備えに万全を期すよう国民へ注意を呼びかけるもので、そのガイドラインは平成31(2019)年につくられたものでした。初めての発令だったため、国民は戸惑うしかなく、ホームセンターの防災グッズが一時的に品薄になったりもしました。1週間たって、注意が解除されて平静を取り戻しましたが、改めて南海トラフ地震への備えを当該地域の住民は強く意識したことでしょう。


講演する玉井氏


 南海トラフ地震で想定される震度7の揺れについては、平成23(2011)年3月11日発生の東日本大震災の映像を視聴することで理解できました。東北各地の都市の様子が次々と映し出され、恐怖におびえる住民の姿がとても印象に残りました。今治市に住む私たちも〝もしも〟の場合に備えた心構えとして、被害想定や臨時情報への対応を理解しておく大切さを学んだような気がします。今治市では、昭和56(1981)年5月以前の木造建築物には、耐震診断や耐震改修などで補助を得られる助成制度があるようです。また、今治市ホームページ上にある今治市防災情報ポータルをご紹介いただき、災害時に「どの地区に避難情報が出されているか」「どの避難場所が開設されるのか」を知る手がかりを知ることができました。広域的な気象情報として、「あなたの街の防災情報」(気象庁キクテル)もご紹介いただきました。


防災グッズを手に取るインドネシア人留学生

 印象に残った身近な備えとして、自家用車のガソリンは、いつも満タンにしておくくらいの心構えが必要ということでした。動かなければただの箱ですが、エンジンがかかることで移動・車中泊・スマホの充電などに役立つのです。家族どうしで話し合って、緊急時はどこへ避難するかなどの情報共有も大切になってきます。スマホがつながらない、使えないという事態も想定しておくことが大切です。


 講演終了後は、陳列した防災食や防災グッズ、仮設テントや簡易トイレなどを参加者は見学しました。FMラヂオバリバリの取材に応える学生もいて、その模様は同局の防災番組で後日放送されるようです。また今治CATVでも、講演の様子を後日放送予定です。


ラヂオの取材を受ける学生

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