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フォーラム登壇者(右から3人目/大成先生) |
10月21日午後(土曜)、越智郡上島町弓削島の「せとうち交流館」で、えひめ地域づくり研究会議主催の2023年地域フォーラム(東予)『上島町の地域史を紐解き島の未来を創造する』が開催されました((公社)えひめ地域活力創造センター後援)。基調講演を本学地域連携センター長の大成経凡先生が務め、「上島町の地域史を紐解く~かみじまを彩る白の物語~」と題して、塩・灯台・綿花・石灰・先哲など上島町の地域史の魅力を大いに語りました。会場には町内外から約60名の参加者があり、今治市はもとより、遠く大洲市内から駆けつけたまちづくり関係者もいました。
同町では、令和3(2021)年10月に塩の荘園で有名な「弓削島荘遺跡」が国史跡に指定されるなど、ユネスコ世界記憶遺産の「東寺百合文書」に記された中世の荘園の推移や塩の歴史が有名です。昭和56(1981)年7月、今上天皇が学習院の卒業論文で瀬戸内海の水運史をご研究された際(当時は浩宮様)、弓削島をご訪問されています。しかし、中世以後の塩の歴史はあまり同町では語られることはありません。そこで、近世・近現代の同地域におけるソルトヒストリーを簡潔にまとめ、弓削島で現在も塩づくりに励む「しまの会社」社長の村上律子さんらの取り組みも紹介しました。
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浩宮様来島記念碑(町総合庁舎前) |
また、塩の〝白〟を切り口に、弓削島沖にある無人島の百貫島の灯台に着目。白亜の百貫島灯台(1894年5月15日初点灯)がつくられた歴史背景に産業界の要請があり、わが国初のインドと神戸を結ぶ国際定期航路(1893年11月開航)の積み荷がインド産綿花であったことを紹介。しかも、かつて岩城島では綿花栽培が盛んで、その名残として岩城島祥雲寺の綿地蔵があることなど、個々の歴史遺産がリンクするよう、地域史の醍醐味を伝えました。ちなみに百貫島灯台は、同時に初点灯した芸予海域の姉妹灯台が8つもあり、布刈瀬戸8灯台や三原水道9灯台とも呼ばれています。今治市の大下島灯台もその一つです。百貫島灯台は昭和37(1962)年に無人化されますが、灯台職員がいなくなった後も同島には郵便番号(弓削百貫/794-2503)が存在しているから驚きです。
後半のパネルディスカッションでは、弓削高校2年生の3名が登壇し、同校の現況をスライド発表した後、島崎義弘氏(えひめ地域づくり研究会議)の司会で高校生たちに質問が投げかけられ、これに村上律子さんや大成先生がアドバイザーとして意見を述べました。昨年度、弓削高校生(現、3年生)が町内各島の特産(塩・海苔・レモン・キクイモ・ヒジキ・クルマエビ)を使って考案した「ふりかけ」の話題提供もあり、同校では総合学習の探究授業で生徒たちがテーマを決めて地域づくりにかかわっております。律子さんの会社では、来春卒業予定の弓削高校生を1名採用予定で、島の産業振興に地元出身の若者がかかわることになります。高校生たちが今の島暮らしをどう見つめているのか、大人とは違う感性を知りうる良い機会ともなりました。
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弓削高生の発表 |
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弓削高のPRタイム |
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本番前の作戦会議 |
この日の模様は、愛媛新聞10月25日付の紙面に掲載されました。