乃万地域の石塔めぐり
10月13日(金曜)の「日本を学ぶⅡ」は、今治市内の文化財巡りと鎌倉仏教史の学びを目的に、本学からバスで10分ほどの距離にある野間地区の中世石塔(五輪塔・宝篋印塔)を訪ねました。ちょうど稲刈りのシーズンということもあり、車窓からは稲刈りの光景が楽しめました。参加した学生は20名で、日本人4名に対して、留学生16名(中国9・ネパール5・インドネシア1・スリランカ1)という国別構成となりました。
前回の授業では、文化財指定のランクについて学びました。世界遺産を筆頭に、国内では国宝や国指定重要文化財(以下、重文)が〝文化財の王様〟ということを知って、早速、身近な地域にある重文4か所を訪ねました。まずは、野間地区の覚庵(かくあん)五輪塔です。鎌倉時代後期に造立された石造りの五輪塔で、死者をまつる供養塔(お墓)になります。高さが2㍍を優に越え、荘厳な造形美から石造美術(ストーン・アート)としても楽しむことができます。2基が仲良く並んでいることから〝夫婦墓〟と考えられ、同時期の全国の作例からしても特異な造立形態として注目されています。石材は、瀬戸内海沿岸地域に多く見られる花崗岩(かこうがん)と呼ばれる岩石で、硬いことから造立後700年たっても風化が見られず、優れた石工の技が偲ばれます。いま、当時と同じ手仕事でこれを造ろうものなら、2000~3000万円の費用を要するとのことで、住宅1軒の新築経費とそう変わりません。
覚庵五輪塔 |
つづいて、そこから農道を歩いて5分ほどの距離にある長円寺跡宝篋印塔へ。途中、稲刈り作業のコンバインやキンモクセイの香りに秋を感じました。長円寺跡宝篋印塔は供養塔ではないのですが、刻まれた銘文には、死者のあの世での安寧の願い(弥勒菩薩信仰)が込められていて、亡き夫を慕う妻の愛が偲ばれます。こちらは3㍍を優に越え、造立年が正中2(1325)年であることが銘文から分かっています。いま、手仕事で造ろうものなら6000万円とか。怪物級の大きさでありながら造形美に優れ、全国的に有名な中世石塔の一つとして知られています。
長円寺跡宝篋印塔 |
ここから5分ほど歩くと、今度は馬場五輪塔です。こちらも銘文が刻まれ、嘉暦元(1326)年に〝亡き妻・紀氏女(きしむすめ)のため〟に造立したことが分かります。解体整備作業で見つかった遺灰をDNA鑑定したところ、20歳前後の若い女性と分かり、銘文の内容と一致したようです。意匠や大きさから、覚庵五輪塔と手がけた石工は同じだろうと推察されます。1320年代半ばに、この野間地区で集中的に造立されたのでしょう。ちなみに紀氏は、今治平野に当時あった伊予国府の有力者(在庁官人)と考えられ、亡き妻のために夫が造立したことになります。
馬場五輪塔 |
以上、3カ所を視察して気づくことは、当時の今治地方は夫婦仲が良かったということです。全国的に見ると、そういう造立の形態は確認できないようで、造形美にも今治オリジナルの意匠が確認できるとのこと。最後は駆け足で神宮地区の野間神社を訪ね、境内にある重文の宝篋印塔を見てこの授業を終えることにしました。重文の中世石塔を短時間で見られるのは、本学の所在する乃万地域の〝地の利〟かも知れません。