2022年11月10日木曜日

大学公開講座 11月5日 「明治の今治の大灯台 知られざる大浜灯台の全貌」

灯台ウィーク(11月1日は灯台記念日)にちなみ、海上保安試験研究センターの星野宏和氏を講師に招いた公開講座「明治の今治の大灯台 知られざる大浜灯台の全貌」を開催いたしました(今治海上保安部後援)。市民の関心も高く、88名の参加がありました。



演題の大浜灯台は、明治35(1902)年4月1日に初点灯した全長14.5mの鉄造六角形の灯台です。すでに撤去され、今治市湊町の跡地には煉瓦塀と石垣だけが残されています。灯台職員が住んでいた官舎と日時計は、唐子浜に移築保存されています。灯台は地域のシンボルとして存在し続けることから、これに思い入れを抱く住民は多く、この日の受講生の30名近くは灯台のあった近見地区住民の方々でした。大浜灯台は、かつて今治市の名所絵葉書にも採用されています。


大正11年撮影の大浜灯台(絵葉書より)


昭和戦前の大浜灯台(絵葉書より)

約4年前にも同じテーマで、星野氏が来島海峡海上交通センター赴任時に近見公民館で講演会を開催しています(しまなみ海道周辺を守り育てる会主催)。この灯台は、明治期の瀬戸内海の灯台の多くが石造(構造)だったのに対して、なぜか鉄造でスケールの大きい灯台でした。その点は、星野氏の調査によって来る日露戦争(1904~05)に備え、海軍省の要請があったことが分かってきました。鉄造の場合、工期が短期で資材運搬に便利という利点があります。同時期、来島海峡の小島(おしま)では陸軍省による芸予要塞(げいよようさい)の築造が行われており、一方で逓信(ていしん)省による中渡島灯台(明治33年4月20日初点灯)やコノ瀬灯標(明治35年4月1日初点灯)の整備も図られました。大浜灯台は、中渡島灯台・コノ瀬灯標と鼎立(ていりつ)することで、明治30年代以降の来島海峡航路の安全に大きな役割を果たすことになりました。




途中、本学の大成経凡講師による「大浜灯台が誕生した明治35年当時の今治」と題した発表もありました。前述の芸予要塞だけでなく、愛媛最初の本格的洋式造船所となる波止浜船渠(はしはませんきょ)や住友財閥による四阪島製錬所のインフラ整備も同時期の出来事で、ダイナミックに展開される今治地方の動向に受講生は思いを馳せました。


最後に、星野氏から全国の灯台の利活用について紹介がありました。近年、明治初期初点灯の灯台は、国の重要文化財に指定されるなど、歴史的・文化的な価値を帯びるようになってきました。地域ごとで灯台を活かした取り組みも見られ、今治市内の中渡島灯台や大下島灯台(明治27年5月15日初点灯)でも、それらの事例を参考に何か新たな取り組みを実施できるのかも知れません。大浜灯台跡地の活用についても、しまなみ海道周辺を守り育てる会のはからいで、近見小学校の遠足コースに組み込まれるなど、今治海上保安部や近接する来島海峡海上交通センターとの連携が近年見られるようになりました。




なお、当日の模様は、11月27日(日曜)の南海放送11:25~11:30の「海と日本プロジェクトinえひめ」や今治CATV(放送日未定)の番組の中で放送予定です。


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