2023年7月26日水曜日

授業紹介 【日本を学ぶⅠ】 朝倉地域の古墳めぐり 7/21

 日本を学ぶⅠ 朝倉地域の古墳めぐり(7月21日)

 前回の授業で、古墳時代を学習しました。そこで、市内でも古墳が多く分布する朝倉地域を学外授業で訪ねることにしました。目的地の一つは、笠松山麓の野々瀬(ののせ)地区に所在する「野々瀬古墳群」で、横穴式石室をともなう20基ほどの円墳が現存しています。昭和戦前には100基余りあったようですが、食糧増産の開墾等によって失われました。お目当ては、その中で最大規模の七間塚古墳(県指定史跡)と次に大きい五間塚古墳(市指定史跡)となります。

 七間塚古墳は、直径18㍍の7世紀初めの築造とされる円墳ですが、昨年訪問した時よりも雑木や雑草が茂っていて興ざめしました。周辺の畑も耕作放棄地となっていて、昨年も参加した学生にはその荒廃ぶりが見てとれました。一方、杉林の中にある五間塚古墳は、昨年と同じ状態を保ち、石室の中に入ることもできました。肝試しで多くの学生が入室し、内部の石組みに驚いた様子でした。同墳は地元で〝王塚〟とも称され、過去の調査で玉類や鉄製品が出土し、隣接する石棺墓(陪塚)からは人骨が出土しています。直径は15~16㍍で7世紀前半の築造とされています。周囲がシダに覆われ、こちらは幻想的な雰囲気を醸し出し、学生たちにも好評でした。


五間塚古墳の外観

五間塚古墳の横穴式石室

 つづいて、場所を周越道路沿いに移し、田んぼに隣接する樹之本古墳へ。円墳の墳丘からタガヤサンなどの樹木が茂り、存在感を放っています。その場所からは遠く来島海峡大橋も見え、被葬者は朝倉地域を拠点としながらも、海を意識した人物であったと考えられ、築造時期は5世紀のようです。長径40㍍の同墳は、明治41(1908)年に発掘調査が実施され、中国製3世紀の青銅鏡(細線式獣帯鏡)も見つかりました。驚くべきは、その青銅鏡が大仙古墳(仁徳天皇陵)出土のものと酷似することで、その希少価値から現在は東京国立博物館に収蔵されています。そんな価値にひたりながら、同墳の前で集合写真を撮りました。

樹之本古墳を背景に記念撮影

 ちょうどこの日、四国地方は梅雨明け発表があったばかりで、古墳散策は酷暑との戦いでした。幸い、ヘビには遭遇しませんでしたが、一部の学生が蚊に刺されました。次回の授業では飛鳥時代を学び、〝日本の国号〟誕生の背景に迫りたいと思います。


 


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