2023年7月27日木曜日

大学公開講座2023  7月22日 民俗学者・宮本常一がみた愛媛 ~篤農家・丸木長雄との交流~

 7月22日の大学公開講座は、大阪大学招へい研究員で元宮本常一記念館学芸員の高木泰伸氏を講師に迎え、「民俗学者・宮本常一がみた愛媛 ~篤農家・丸木長雄との交流~」をテーマにご講演をいただきました(受講生約20名)。

 内容の一部を要約しますと、宮本常一翁(1907~1981)といえば、『忘れられた日本人』(岩波文庫)などの著作でも知られる、全国をくまなく調査で歩いた偉大な民俗学者(旅する巨人)です。山口県周防大島出身の翁にとって、愛媛との関りは深く、幼い頃から一番身近な存在の都市が松山市でした。今治にも足繁く通った時期があり、それは昭和21年から24年にかけての食糧増産が叫ばれた頃、乃万村山路(現、今治市山路)の農場で画期的な甘藷栽培法で功績をあげた丸木長雄(1902~1989)を訪ねるためでした。ちなみに、宇和島市遊子(ゆす)水ヶ浦の段々畑の石垣も、この頃に甘藷を栽培するために開墾されて築かれたようです。


 丸木(松山出身)は篤農家として農家の信頼も厚く、元福岡農士学校農場長の経験を生かし、太平洋戦争中から愛媛県農会技手・技師として山路の農場を拠点に営農指導に励んでいました。彼から薫陶を受けた農家は「みつち会」と呼ばれる組織をつくり、その影響は全国各地に及んだようです。このため、没後の1990年に農場跡地付近で丸木の顕彰碑が建立されるほどでした。丸木は常一を通じて実業家・渋沢敬三(渋沢栄一の孫)との知遇を得、1949年から東京農業大学三鷹農場長に就任し、1950年に昭和天皇が四国巡幸の際は松山市でご進講の任を務めたこともありました。

 現在の白鳩保育園の場所が、山路にあった「みつち会」の農場跡地のようですが、高度経済成長以後、周辺の景観は開発等によって様変わりしていったようです。このため、丸木長雄の名は、今治の地域史において埋もれた状態にあり、戦後の地域づくりや農業史に光を当てる際は掘り起こしが求められます。


 最後に、昭和30年代に常一が撮影した今治地方の写真が紹介され、今治港に寄港する旅客船・漁船・渡海船など、そこから読み取れる情報を参加者らと共有しました。大三島の藻刈りの写真は、ご年配の参加者の中には鮮明な記憶として残っている方もいて、和やかな雰囲気で意見交換もされ、地域の民俗文化を身近に感じるよい機会となりました。

当日の講演の模様は、後日、今治CATVにて放映予定です。




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