5月17日(金曜)午後、初夏の陽気に誘われて、32名の学生たちと最寄りの四国八十八ヶ所霊場「近見山延命寺」(54番札所)を徒歩で訪ねました。本来、遍路は歩きが基本。本学から延命寺さんまでは15分あれば十分です。いつもは教室で講義形式の授業となるため、たまには体を動かせて視点を変えた授業形式をとるのもいいですね。ねらいが的中し、学生たちの素の表情が見てとれ、いつもとは違った環境でコミュニケーションを楽しむことができました。
参加した学生の国籍の内訳は、多い順にネパール13・中国8・ミャンマー8・ベトナム4・日本2というものでした。延命寺では、境内にある真念〝道標(みちしるべ)〟と武田徳右衛門〝丁石(ちょうせき)〟を解説。真念は、江戸時代後期の遍路ブームのきっかけをつくった僧で、一般にはそのガイドブック『四国邊路道指南』(1687年)の著者で知られますが、お遍路さんが道に迷わないよう、分岐点などに道標を建立した功徳者としても知られています。その道標が今治市内には数基確認できるようで、そのうちの1基が延命寺に残されています。
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真念道標とミャンマー人留学生 |
真念道標が左右どちらの方向へ進めばいいのかを示す標石だったのに対して、徳右衛門の標石は札所までの距離〝里〟〝丁〈町〉〟を示すものでした(1里は約3.9㎞、1丁は約109m)。徳右衛門は、現在の今治市朝倉上出身の富農家で、真念よりも後の時代に生きた人物です。自身が遍路行脚を重ねるなかで、左右の標石だけでは不十分と感じて、旅程の参考となる丁石の建立事業に1794年から着手しました。今でもその徳右衛門丁石は四国全域に100本近く確認できるようです。彼らが生きた時代、徒歩で八十八ヶ所を巡礼しようものなら、距離にして1,400㎞、約50日の行程を要しました。今日では、バスや自家用車で巡礼をする人々が増え、こうした標石はあまり意味をなしません。しかし、歴史を振り返る際は、とても重要な歴史文化遺産ととらえることができます。
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武田徳右衛門丁石とネパール人留学生 |
せっかくなので、延命寺では本堂と大師堂それぞれで〝日本の歴史文化を学ぶ〟一環でお参りをしました。偶然、池口ご住職さんが境内にいて、留学生たちに話しかけてくれました。「お寺はどんな感じ?」と。これに対してミャンマー人の女性が「お寺の漢字は難しくて分かりません」と答えて、笑いを誘う一幕も。
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延命寺本堂 |
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延命寺大師堂 |
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延命寺で休憩なう |
少し境内で休憩した後、旧遍路道を通って阿方貝塚史跡公園を目指すことにしました。阿方貝塚は、かつて北四国を代表する弥生時代の遺跡として考古学者の間ではとても有名でした。このため、しまなみ海道(西瀬戸自動車道)の高架をそばに建設する際、改めて周辺地域を発掘調査し、遺跡を保護、価値を周知する観点から現在の公園がつくられました。出土品の土器がモニュメントになっていて、そこで集合写真を撮って、この日の授業は終了しました。次週、この日の振り返りを行い、今後の学外授業に向けた準備を進めて参りたいと思います。
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阿方貝塚史跡公園 |