11月21日(金曜)の「日本を学ぶⅡ」(大成経凡先生)は、午前のクラス(35名)と午後のクラス(49名)それぞれで学外授業を実施しました。総勢84名の国別内訳は、ミャンマー48名・ネパール28名・中国5名・スリランカ2名・日本1名です。両クラスともに、今治市菊間町浜にある「かわら館」を訪ね、愛媛県の伝統的特産品であり、今治市の地場産業の一つである製瓦業の歴史や価値について学ぶこととしました。ロビーには、瓦製のお供馬のレリーフが展示されていますが、かつて菊間地域で馬が多く飼われていた背景には、瓦の産地が影響していました。海岸部に軒を連ねる窯元へ、原料の粘土や焼成用の薪や松葉を馬が運搬していたからです。かつて製品の瓦は船で運搬され、瀬戸内海沿岸で需要が多くありました。身近なルーツとしては、藩政時代の松山藩の庇護で御用瓦などを手がけ、つづいて明治時代には皇居御造営瓦に選ばれたことで名声を得ました。〝京都の着倒れ、大阪の食い倒れ〟という言葉がありますが、愛媛には〝伊予の建て倒れ〟という言葉があり、これは家を建てた際は上等の菊間瓦を屋根に葺いて贅(ぜい)を尽くすことを意味しました。
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| かわら館 |
館内には、焼成の窯が〝ダルマ窯〟と呼ばれる土窯だった当時のジオラマ模型が展示されていて、ひと昔前の瓦で栄えた菊間の町並みに思いを馳せることができます。昭和初期は菊間地域だけで100近い窯元があり、窯でいぶす際にでる黒い煙と窯元の屋外に積み上げ松葉のかたまり(松葉くろ)が瓦のまちを象徴する光景の一つでありました。現在、菊間瓦は1,000度近い温度のガス窯で焼かれていて、菊間町窯業協同組合に加入する製瓦業者は12社まで減少しています。その背景には、産地間競争以外に、粘土瓦を葺(ふ)かない家が増えてきたことが大きく影響しているようです。屋根瓦以外の工芸品に活路を見出す業者もいて、伝統を継承しながら地場産業としての地位をどう保つのか、難しい舵取りが続いています。
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| かわら舘のジオラマ展示 |
学生たちには、広島で被爆した菊間瓦の展示を見るよう事前に伝えてありました。1,000度近い温度で焼かれた瓦の表面に火ぶくれが見られ、これはそれ以上の熱が瓦に注がれたことを意味しており、改めて原爆の恐怖を感じさせる希少な資料であるのです。次回の授業で振り返りを行う際、学生に訊いてみようと思います。
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| 被爆瓦 |
かわら館を見学した後は、紅葉の時季ということもあり、午前のクラスは大西地域の藤山健康文化公園へ。ネパール人が多いこのクラスは、サッカーや児童遊具を楽しみました。ミャンマー人が多い午後のクラスは、夕陽のスポットの鴨池海岸公園を訪ねました。この秋に入学したばかりのミャンマー人留学生は、まだ今治市内の観光名所を今治城くらいしか訪ねておらず、この日はそのうちの34名が初めて夕陽の鴨池海岸を観賞(満喫)することができました。今治の伝統工芸(地場産業)と観光名所の秋を通じて、日本の良さを学ぶ一助となれば幸いです。
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| 藤山健康文化公園 |
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| 夕陽に興じる留学生 |