2025年12月17日水曜日

授業紹介「地域社会論・地域交流演習」長井健司さんを知っていますか?

 12月11日(木曜)午後の「地域社会論・地域交流演習」(大成経凡先生)は、ミャンマーで2007年に反政府デモを取材中、治安部隊の銃撃で亡くなったジャーナリスト・長井健司さん(当時50歳)の妹・小川典子さん(今治市在住)をゲストにお招きし、平和について考える授業となりました。意外に今治市民の間でも、健司さんが今治市出身ということが知られておりません。

一方で、健司さんの曽祖父・長井兼太郎は、大島石を道後温泉本館浴槽石(1894年)や日本銀行本店(1896年)、大阪心斎橋(1909年)や赤坂離宮(1909年)に納入した郷土の偉人として知られており、そんなご縁で地域史研究家の大成先生と小川さんが今秋知り合い、この日の授業が設定されることになりました。それより前にも伏線があって、今年の本学入学式でミャンマー人が多いことを知った新聞記者から、情勢不安の回避から海外へ留学しているのではとの指摘がありました。

 この日は、履修生以外にも聴講生が6名いて、46名中29名がミャンマー留学生でした。小川さんも、大成先生と会うまでは、本学にミャンマー人が多いことは知らず、在籍する全学生301名のうち、91名がミャンマーからの留学生です。2007年の健司さんの死によって、世界中にミャンマーの情勢不安が広く知れ渡りました。健司さんが亡くなった時のデモの映像が流れると、留学生たちは今と重なるものがあり、大成先生と小川さんが質問を投げかけると、赤裸々な思いが語られたのです。

最初は、自分たちと同じミャンマー人が日本人を殺害したことを申し訳なく思い、重苦しい空気が流れました。小川さんに謝罪の気持ちを伝える留学生もいました。留学の理由については、やはり危険を逃れることが主目的で、民主的で平和な国家となれば母国へ帰りたいという思いが強いようです。10代から20代までの友達の中には、軍事政権と戦うGZA(ジェネレーションZアーミー)という武装組織に入隊し、戦闘で亡くなったものもいるとか。出生率が高いミャンマーにあって、一人っ子なら、親は〝わが子を留学させたい〟という思いが強いことも分かりました。実際に、履修生の中に一人っ子が3名いましたが、そうした気持ちで親が留学を勧めたことをはっきり語ってくれました。留学生の親の世代は、自分たちが子どもの頃にも同じような情勢不安を経験しているとのことでした。同じ苦しみを、わが子には二度と経験させたくないようです。

 映像の中では、亡くなった健司さんのカメラがミャンマー政府から遺族のもとへ返されない点を責めていましたが、これについては2023年4月に小川さんに返還されました。そのカメラを今回はご持参いただき、まさに健司さんもその場に居合わせているかの空気感に包まれていたように思います。だからこそ、学生たちがこれまですすんで語ろうとしなかった、心の中にしまってあった思いが吐露されたように感じました。

小川さん(中央)とミャンマー人留学生

 授業の後半は、本学から5分の距離にあるボーリング場「桑名ボウル」へ移動し、ボーリングで小川さんや本学同窓会のOGらと交流をはかりました。外国人が住みやすい今治市であるためには、日本人との交流の場が求められております。残念ながら、同ボーリング場は老朽化等で年内での廃業が決まっており、この日は思う存分、学生たちにも楽しんでもらうことにしました。46名の留学生が参加しましたが、40名弱はボーリングそのものが初めての経験で、色々な意味でいい想い出づくりになったなら幸いです。

ボーリング場を占拠するめいたん生

小川さん(前列左)のチーム


このページの先頭へ戻る