12月5日(金曜)午前中、幼児教育学科2年生科目「保育臨床相談」(寺川夫央先生)の授業に、特別ゲストで今治市出身の絵本・紙芝居作家の長野ヒデ子先生をお招きしました。本授業のねらいは、絵本作家から直接、作品に込めた思いなどを聞くことを通して、絵本をはじめとする児童文学等の媒体が、自らの感受性や子どもたちの心情を育むことへの理解につなげようというものでした。事前に、学生たちにはヒデ子さんの代表作である『おかあさんがおかあさんになった日』や『おつきさまひとつずつ』などに目を通してもらい、質問を投げかけてもらうことにしました。受講生12名は、昨年10月にも大学公開講座でヒデ子さんのご講演を聴いており、今回はその時よりもずっと近い距離でヒデ子さんとの交流がかないました。全国にいるヒデ子さんファンからすると、ヒデ子さんを独占できるとても贅沢なひとときとなりました。
ある男子学生は、せとうちたいこさんシリーズがお気に入りで、「どうして主人公のたいこさん以外にも、登場するキャラが多数いるのか?」という素朴な疑問を投げかけました。すると『デパートへいきたい』の絵本を手にもち、その作品をつくるために何度もデパートへ通い、観察したというエピソードを紹介。様々なお客さんでにぎわう、目に見えるデパートの姿をそこで表現したかったようです。読者はたいこさんになりきることで、絵本の中の知らない世界へ飛び込むことができます。主人公が女性のタイとなった背景には、やはり瀬戸内海を代表する魚であり、今治市の織田が浜で幼少期を過ごした想い出が投影されているとのことでした。
ある女子学生は、ヒデ子さんが文を手がけた『しっこっこのこけこっこ』が生まれた背景について質問しました。タイトルの言葉は、幼い子どもがトイレを利用する際のわらべ歌のようなフレーズですが、これはヒデ子さんの母親が口ずさんでいた言葉で、トイレが楽しくなるような意味が込められています。かつてトイレといえば、汲み取り式のボットン便所で、〝穴に落ち込んだ〟〝落ち込みそうになった〟経験のある子どもには少し恐ろしい場所でした。その恐ろしさを緩和するねらいがそのフレーズにはあり、ヒデ子さんの想い出の中に、ずっと忘れられずに残っていました。そして自らが母親となって子どもたちと接する際に、よみがえってきたようです。他にも、子どもが苦手なものを題材にとりあげた作品があり、それを克服するわらべ歌は、ヒデ子さんが幼い頃に母親が歌ったものとのことでした。
絵本と紙芝居の違いについても、昨年につづいて語ってくれました。「絵本は、読み手が作品の中に入り切ることを前提に描いている(文と絵の作者が異なる場合は、しっかり話し合って描いている)。気になれば、ページを戻って読み返すこともできる。これに対して紙芝居は、絵が聴き手のところへ飛び出していくことに特長があり、読み手がしっかり演じるきることが大切。聴き手は、ドキドキしながら紙面の差し替えに心を踊らせるので、できれば舞台という装置を使って欲しい」とのことでした。実際に、ヒデ子さんは絵本を読み聞かせし、紙芝居まで演じきるというお手本を示して下さいました。また、『狐』や『てんごく』など、新美南吉の埋もれた作品を、全集からひもとき、絵本に再現したいきさつも語ってくれました。これは、ヒデ子さんの大きな業績の一つだと思います。ヒデ子さんの作品には、人権や平和への思いが込められているものも多く、卓越した洞察力に学生たちは共鳴していました。
ご高齢(昭和16年生まれ)にもかかわらず、ヒデ子さんは90分立ったままの状態で、学生たちが将来、現場で役立つ示唆に富んだお話をたくさんして下さいました。印象に残った言葉は、学生たちに対して〝琴線に触れたもの〟を大切に持ち続けて欲しいというものでした。ヒデ子さんの作品は、ヒデ子さんの感受性豊かなお人柄から生まれたもので、卓越した記憶力にも驚かされました。また、絵本や紙芝居(舞台)を購入して欲しいという訴えには、少子化やデジタル化などで、子どもたちの情操教育にとって大切な絵本や紙芝居を出版する業者が廃業や規模縮小する現実問題がありました。紙芝居については、日本発祥の児童文化でもあります。リアルな学びが、やはり幼少期のこどもたちには必要で、絵本と紙芝居の教育的効果を学ぶ貴重な特別授業となりました。
授業終了後にも、ヒデ子さんは学生有志のラジオ番組「めいたんへ行こう!」の収録に快く応じて下さいました。授業とインタビューの様子は、改めて本学ホームページにYouTube(動画)で掲載したいと思います。



