2026年3月5日木曜日

いまばり博士検定研修会に参加(2月14日)

 4月に開設される地域未来創生コースでは、1年生前期の必修科目(1単位)に「いまばり博士検定対策」があります。担当教員は大成経凡先生ですが、そもそも今治商工会議所が主催する今治市のご当地検定〝いまばり博士〟を監修するのが大成先生なのです。

 検定は1年に1回実施され、今年度は8月17日(日)に第16回検定が実施されました。短大生対象のカテゴリーには、初級編・中級編・上級編・プレミアム編の4コースがあります。本学の授業では、まず初級編合格を目標とし、1年生で不合格だったとしても、2年生で合格できるよう、2回のチャンスを有効活用して欲しいと思います。例年、本学の大学公開講座では、いまばり博士検定対策講座を「山の日」頃に開催しており、授業と合わせて受講すれば合格に近づくことでしょう。なお、プレミアム編については、上級編合格者しか受検できず、最短でも2年続けての受検が求められます。

 2月14日、そんなプレミアム編合格者を対象にした研修会があり、大成先生が講師となって大三島を散策しました。第16回の該当者は2名しかおらず、両名ともに対策講座を受講された方です。1名については2度目の合格で、その知識を生かすべく、今治地方観光協会のボランティアガイドとしても活躍しているそうです。今年度の上級編合格者の中には、「今治・しまなみ地域通訳案内士」にも合格された人がいたようです。

 さて、今回の研修視察は伯方塩業(株)大三島工場と宮浦地区の大山祇神社でした。今治市民であっても、同工場を訪ねたことのない方は意外に多くいます。過去に訪ねたことがあっても、塩業史に詳しい大成先生の解説を聞くと、塩づくりの魅力に引き込まれ、見える景色が違ってきます。大成先生は、伯方塩業の創業にかかわった丸本執正氏(故人)と親交があり、氏が社長の時に行動を共にする機会が多かったようです。そのため、創業時の苦労話や経営理念などをよく耳にしたようです。そんなエピソードを交えながらの工場視察となりましたので、合格者2名はより当地方の塩業史や製塩業の現状に興味がわいたことでしょう。お土産の食塩もたくさんいただき、まさにプレミアムな特典でした。


枝条架流下式塩田(伯方塩業(株)大三島工場)


 大山祇神社の散策は、宮浦港そばの一の鳥居からスタートです。昭和8(1933)年に造立された巨大サイズの石鳥居で、柱1本の長さが半端ありません。かつて参拝客は、船を使って宮浦港からアクセスすることが多く、そこに一の鳥居があることで、二の鳥居までの参道沿いが門前町として栄えたことが分かります。愛媛県内でこれほど大きい近代竣工の石の大鳥居は、石鎚神社(西条市)や和霊神社(宇和島市)などが知られています。これらは採石技術や運搬技術が進歩したことで誕生した近代土木遺産ともいえます。石材に注目すると、この一の鳥居は徳山石、石鎚神社は大島石、和霊神社は庵治石で、すべて花崗岩(かこうがん)となります。そういう視点で見ると、大山祇神社の二の鳥居は、柱石は2本の花崗岩を継ぎ足していました。見落としがちな視点ですが、当地方は大島石という銘石の産地がありますから、石へのコダワリ&深掘りはとても大切になってきます。


大山祇神社 一の鳥居(宮浦港)


 境内では、拝殿前で参拝した後は、酒樽が陳列された回廊へ歩を進めます。梁には、同社を参詣した著名人の写真額が飾られていて、伊藤博文・秋山好古・山本五十六らに驚かされます。伊藤博文公爵にいたっては明治42(1909)年に参詣した時の姿で、それから半年ほどたってハルビンで安重根に暗殺されています。参詣記念で植えられたクスノキも境内にあり、揮ごうした文字が二の鳥居そばで社号碑にもなっていて、境内では伊藤公爵をこれら3点をセットでとらえる必要があるのです。酒樽に話を戻せば、御神酒を献納した酒造メーカーの銘柄がプリントされ、最上位には大山祇神社の「白鷺」、2番目には今治唯一の酒造メーカーの「山丹正宗」、つづいて広島県の酒都西条のメーカー「加茂鶴」「白牡丹」「福美人」が続きます。この背景には、その場から少し歩いた先にある「酒殿」(しゅでん)と称されるお酒の神様を祀る祠が関係します。酒樽や酒殿については、指摘されなければ気づかない観光スポットで、プレミアム編ならではの視察コースといえました。


大山祇神社の奉納酒樽

 他にも深掘りスポットはたくさんあったのですが、あまり紹介すると参加者へのプレミアム感がなくなってしまいますので割愛(笑)。このような感じで、毎年冬の時期にプレミアム編合格者を対象にした研修視察を実施しており、ふだん立ち入ることのできない工場や貴賓室などを訪ねたこともありました。いまばり博士検定は、今治商工会議所が主催ですので、会員の法人が研修を受け入れてくれるのがありがたいですね。地域未来創生コースの必修科目では、今治を学びのフィールドとする機会が多くありますので、2年間でプレミアム編が取得できるよう、高みを目指してみてはいかがでしょうか。






2026年2月14日土曜日

岩松の町並保存地区を視察(2月1日)

 2月1日(日曜)に宇和島市津島町で開催された「第35回しらうお&産業祭り」((市・実行委員会主催))は、シロウオ漁体験&グルメ以外にも見所は十分ありました。メイン会場の河川敷土手沿いでは、改修工事を終えたばかりの「小西本家離れ・蔵」が一般公開されていました。これらはワールド・モニュメント財団、フリーマン財団の支援により修復されたようです。この岩松地区には古い町並みが残されていて、令和5(2023)年12月に国の重要伝統的建造物群保存地区(以下、重伝建地区)に選定されています。愛媛県内には他にも内子町と西予市宇和町に同様の重伝建地区があって、町並みの景観を保持しながら地域観光に寄与しています。令和7年度版『伝統的建造物群保存地区 歴史の町並』によると、全国に129地区の重伝建地区があり、これを有する自治体は106市町村とのことです。そもそもこのように集落や町並みを保存する制度が創設されたのが昭和50(1975)年以降のことで、今年度で半世紀を迎えたことになります。

本学の大成経凡先生が愛媛県の近代化遺産調査事業の調査員をしていた平成13・14(2001・02)年度当時は、まだ宇和町卯之町の町並みも選定されていませんでした。調査の方針としては、1件でも多く近代につくられた希少な建造物を探しだし、地域活性化につなげようというものでした。その後も愛媛県教育委員会では近代和風建築調査(平成16・17年度)や2度目の近代化遺産調査(平成23・24年度)を実施し、岩松の町並みの魅力はブラッシュアップされていったように感じます。大成先生は、2度目の近代化遺産調査にもかかわり、平成30〜令和2年度は今治市波止浜地区の旧八木亀三郎家住宅(八木商店本店資料館/登録有形文化財)の整備にもかかわって、近代建造物の見る目を鍛えていきました。

岩松の町並み
古い町並みといっても、東映太秦映画村のような江戸時代の建造物ばかりでなく、明治・大正・昭和初期の近代化の中で誕生した建築が多く含まれます。平成8(1996)年度の国登録有形文化財制度の発足後は、築50年が経過した建造物も文化財の対象となり、昭和戦後につくられた広島平和記念館のような建物が国指定重要文化財となる時代が到来しました。高度経済成長以降、スクラップ&ビルドの価値観で、それ以前に繁栄した集落・町並みが急速に失われ、これに警鐘を鳴らすべく導入されたのが重伝建の制度のように思います。県内では内子町八日市護国地区が〝木蝋と白壁の商家町〟として昭和57(1982)年4月に選定され、開明学校・末光家住宅などがある西予市卯之町地区は平成21(2009)年12月の選定となります。

宇和島市教育委員会作成の観光パンフによると、「岩松の町並みは南予地方のリアス海岸にそそぐ岩松川河口域に位置し、農村から周囲の集落の物資集散地への変容とともに町並みが形成され、江戸後期から近代にかけて、小西家などの豪商を中心として製蝋業や新田・塩田開発、酒造業などを基軸に発展した町」とのことです。現在は、岩松川右岸の宇和島市役所津島支所前の国道56号がメインルートになっているため、その対岸の町並みを経由しなくとも宇和島市と愛南町とをアクセスできます。今回のイベントは、そういう意味では、メイン会場に駆けつけた観客を町並みへ呼び込むチャンスでした。地元住民の目には、見慣れた、価値を見いだせない時代遅れの地区に映るかも知れませんが、希少な建物が点在し、町並みとして見応えが十分備わっているのです。その起爆剤として今後期待されるのが「小西本家離れ・蔵」で、町並みのシンボルともいえる威容が感じとれました。

小西本家離れ・蔵
パンフにもあるように、この町の繁栄には小西家が絶えず登場し、町の繁栄を牽引するような存在であったことがうかがえます。小西家がストーリー性の一翼を担っているのです。本家以外にも東小西家・浜小西家・小西医院などの分家があって、例えば東小西家の小西萬太郎(明治14年生まれ)は、小説家・演出家の獅子文六(1893〜1969)が太平洋戦争末期の昭和19(1944)年に妻の郷里・岩松に疎開した際、これを支援した分家当主で知られます。文六は昭和22(1947)年まで約3年間を岩松で過ごし、その体験をもとに創作したのが小説『てんやわんわ』です。大正5(1916)年当時の地方紙による愛媛県資産家の上位資産額の記事において、岩松村の小西本家・小西荘三郎(慶応元年生まれ)は9番目の70万円、東小西家の小西萬四郎は50万円で登場します。当時の1万円は、現在価値で約1億円ともいわれます。

そのことは、明治後期から大正期に整備されたとされる木造二階建ての〝小西本家離れのつくり〟にも表れていて、設えと建材から施主の気品に満ちたセンスを感じさせます。川を見下ろす窓には色ガラスを用い、トイレの磁器タイルにもこだわりが感じられ、ハイカラな近代の趣を感じることができました。また、長押(なげし)や板廊下に使われた柾目の栂(ツガ)、付書院の玉杢(たまもく)の欅(ケヤキ)などは、大正期に竣工した波止浜の旧八木亀三郎家住宅に通じるものを感じました。大正7(1918)年の愛媛県貴族院多額納税者議員互選名簿において、前年納税額1位の亀三郎に対して小西荘三郎は3位・小西萬四郎は8位で、互選において亀三郎は荘三郎へ、荘三郎・萬四郎は亀三郎に投票しています。岩松の実業家・小西荘三郎を訪ねた政財界の要人に対し、きっとこの離れは接待館や迎賓館としての役割を果たしたのでしょう。

小西本家離れの色ガラス

蔵については、川港の舟運を物語る産業遺産といえます。今回は、蔵が地元小学校の絵画の展示会場にもなっていて岩松川に生息するカニたちが紹介されていました。岩松川はオオウナギ(県天然記念物)や二ホンウナギの生息地でも知られますが、夏場はアカテガニ・ベンケイガニなどのカニ類が山と川とを往来し、まちの至るところで目にすることができます。シロウオだけでなく、岩松川が育む豊かな自然を展示から学ぶことができました。そしてその場には、宇和島東高校津島分校の生徒がいて、自分たちが制作にかかわった町並みガイドの小冊子「今、守りたい 残したい 岩松Notes」(100部限定)を来場者に手渡していました。大成先生のように離れ・蔵に興味のある人とは会話をし、自分たちが地域探究で学んだ知識を披露していました。同校に通う生徒は必ずしも宇和島市出身者とは限らず、たまたま会話した生徒は西予市出身で下宿住まいとのことでした。出身地とは違うまちに住みながら、その地域を大切に思い、まちづくり活動に励む姿に感心しました。その2年生男子については、統合が進む県立高校にあって津島分校最後の学年の生徒となります。


小西本家蔵でガイドする津島分校生

本学の地域未来創生コースが目指すものは、今治市の地域活性化を素材としつつも、その経験が地域を変えても実践に生かせるノウハウを学生たちには身につけさせたいと思います。そして時には今治市の外に出て、先進地視察を行いながら、多様なケースについて意識をめぐらせたいと思います。今治市内の町並保存に関しては、漆器で栄えた桜井地区に注目し、旧小谷屋漆器店(松木家)の店舗棟の再生に、地元の高校と連携して取り組みたいと考えております(所有者と協議中)。岩松地区の町並み保存につきましては、今後も注視しながら整備の進捗を追跡調査して参りたいと思います。






2026年2月13日金曜日

津島しらうお祭りを視察(2月1日)

 令和8(2026)年2月1日(日曜)、宇和島市津島町の岩松川河川敷で「第35回津島しらうおまつり&産業まつり」(市・実行委員会主催)が開催されました。本学からは、4月に新設される地域未来創生コース担当の大成経凡先生が視察で訪ねました。大成先生の目的は、グルメを重点に置いたイベントで、県内でも珍しいシロウオ漁の体験を見学できることが一つ。そしてもう一つが、令和5(2023)年12月に国の重要伝統的建造物群保存地区となった岩松地区の町並みを観光することでした。以下は、新コース的視点からの報告となります。


しらうお祭りイベント会場
まずは、「しらうお祭り」からです。地元で「しらうお」と呼ばれるその魚は、正確にはハゼ科のシロウオを指し、宍道湖(島根県)や霞ケ浦(茨城県)で獲れるシラウオとは異なります。シラウオが河川河口域や汽水湖で一生を過ごすのに対して、シロウオは一生の大部分を沿岸域で過ごし、産卵期のみ河川へ遡上する生態の違いがあります。寿命は1年で、繁殖期に満ち潮に乗って上流を目指し、汽水域上流付近の砂礫底に巣穴を掘って産卵し、メスは産卵後に亡くなります。一方、オスは巣内にとどまって、う化まで卵を保護した後に亡くなるという、はかない時間軸で生きる魚類となります。シロウオ漁体験場に展示された宇和島水産高校水産増殖研究部の解説板によれば、愛媛県内では東予の大三島除川や西条市の加茂川・中山川、中予の重信川、南予の愛南町御荘湾や宇和島市の来村(くのむら)川・三浦地区などでもシロウオの生息が確認されていて、岩松川が巻き網漁であるのに対して、三浦地区と来村川は四つ手網漁と呼ばれる漁法が用いられてきたとのことです。


たらいに入ったシロウオ
シロウオ漁が始まると、マスコミはこぞって〝早春の風物詩〟や〝春の訪れを告げる〟といった形容語を使います。岩松川では1月下旬から2月中旬までその光景が見られ、網にかかったシロウオは体長約3〜5cmで透明の色をしています。小さいようですが、それが成魚の大きさです。現在、同所でシロウオ漁を営むのは、松浦紀江さん・和也さん母子の1業者だけです。訊けば、現在は漁師を専業とはせず、兼業漁師という形で伝統漁法を継承しています。では、なぜシロウオなのに〝しらうお祭り〟なのか? 松浦さんが過去にそれを実行委員会に訊ねると、「これまで〝しらうお〟で通してきたのだから、祭り名を変えることはできない」との返答だったようです。地元ではそれで違和感はないのですが、市外から訪ねてくる識者は、いつもその名称が引っかかるのです。これも現地へ行って聴き取りを行うことでわかることであります。


躍り食いにチャレンジする高校生
現在、「しらうお祭り」は産業まつりとの抱き合わせで開催されています。来場者の多くは、青いトラス橋(岩松新橋)より川上の河川敷イベント会場でのグルメがお目当てです。そこでは、宇和島の鯛めしのルーツともされる津島町の郷土料理「六宝(ろっぽう)」も堪能できます。この六宝とは、漬けダレに6種類の材料(醤油・酒・みりん・砂糖・ごま・卵)を使うことから名付けられたとか。また、じゃこ天やヒオウギ貝なども販売され、特に松浦さん母子が獲ったシラウオの〝おどりぐい〟コーナーには長蛇の列が見られました。〝おどりぐい〟というだけあって、口の中でシロウオがピチピチと跳ねるような食感を味わうことができます。三杯酢をひたしたカップには、シロウオと岩松川のアオサとがコラボしていました。ちょうどそばに居合わせた宇和島水産高校相撲部の男子生徒3名に、被写体になってもらいました。苦笑いを浮かべながら、初めて食するお味は「とてもおいしい!」とのことでした。水産高相撲部の道場は、近くの宇和島東高校津島分校にあるとかで、こうして地元のイベントに参加することが愛郷心を育み、地域に関心をもつきっかけとなるのでしょう。おどり食い1人前は300円での提供でしたが、シロウオそのものは漁期中に1合1,500円で鮮魚店が販売していました。

トラス橋より川下の河川敷では、松浦さん母子と一緒に網をしかけ、追い込み、引き揚げる漁の体験ができました(無料)。この一連の作業は、宇和島水産高校の男子生徒2名がボランティアでサポート役に回っていました。その一人(西条市出身)は、将来はJR四国が西条市で営むサーモン養殖場で働きたいという夢を語ってくれました。両名にとって、もちろんシロウオ漁は初めての体験で、貴重な経験値を積んでいるように感じました。まさか「しらうお祭り」で地元の高校生がボランティア活動に励んでいるとは思わず、未来の水産業の担い手として頼もしく感じました。教室を飛び出し、こうした地域イベントにかかわることで、地域を巻き込んだ水産ビジネスのあり方に思考をめぐらしたことでしょう。


シロウオ漁をサポートする宇和島水産高生

来年は、本学の調理ビジネス&地域未来創生コースの学生有志を引率して見学に参りたいと感じました。まちづくりの変遷がとても興味深いと思います。グルメに焦点を当てれば、昭和60(1985)年に津島町にオープンした「南楽園」(総面積15.3haの日本庭園)以降、まずは地元に観光協会が組織されます。そして、町内の各種団体を巻き込んで郷土料理をアピールするイベントに展開していきました。〝てんやわんや王国〟という、伝説のまちおこしグループの存在がよく知られています。こうした中で平成元(1989)年に「しらうお祭り」と「産業まつり」が融合し、現在の河川敷会場も整備されていったようです。今後は、その河川敷に隣接する町並保存地区との融合が期待され、イベントに来場した方々が町並観光に滞留する仕組みが求められます。




















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